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September 03, 2005

「遊戯」としての政治、愛知和男氏の出馬

■ 此度の総選挙では、雪斎が仕えた愛知和男氏が、東京選挙区比例区から自民党候補として出馬している。こちらのニュースでは、愛知氏のインタビューが載っている。既に引退を表明したと諒解されていた愛知氏の「再出馬」は、驚きを以て迎えられているようである。
 実際のところ、愛知氏の出馬に関しては、雪斎のほうにも、「どういうことなのか」という問い合わせのメッセージなどが各方面から入っている。

 「これで…いいんですかぁ。いいんです」。
 雪斎は、川平滋英さんの口調を真似て、このように口走ってみる。
 雪斎は、愛知氏の出馬は別段、驚くものでもないと思っている。雪斎は、愛知氏が「不完全燃焼」のままで「永田町」を去った事情を承知しているから、復帰の機会を探っているはずだと思っていた。2000年6月の総選挙で、愛知氏を負かした民主党議員が、選挙違反で有罪判決を受けた後も議席に居座る醜態を晒した経緯を前にすれば、「いかさまをやった相手に負けて、このまま退き下がっているとは…」という想いがあったのは、想像するに難くない。
 前に触れた記事によれば、愛知氏は、二階俊博自民党総務局長の要請を受け容れて、出馬に踏み切ったのだそうである。雪斎は、「やはり二階さんに引っ張られたな…」と思った。愛知氏は、十二年前の自民党脱党の折には、二階氏の誘いを受けて自民党を離党していた。その光景が再現されたのであろう。もっとも、愛知氏は、旧橋本派の中では、その政策志向の強さという点で、だいぶ浮いた存在であった。だから、愛知氏を引っ張ったことには、自民党執行部にとっては、「竹下派・橋本派」的なるものに引導を渡すという意味合いもあるのであろう。愛知氏と二階氏は、親友同士であるけれども、そのキャラクターは、おそらく正反対である。
 二階氏は、政治家としては「仕事師」としての雰囲気を持つ人物である。だから、二階氏は、一時は自民党を離れていた「出戻り組」であったとしても、選挙指揮の前線指揮官としての総務局長を任されているのであろう。
 片や、雪斎が接してきた愛知氏は、「政治家」というよりは「高尚な遊戯人」であった。愛知氏は、ヨハン・ホイジンガが呼ぶところの「ホモ・ファーベル」(工作人)ではなく、「ホモ・ルーデンス」(遊戯人)なのである。愛知氏が防衛庁長官在任時、北海道の陸上自衛隊部隊を視察した折に隊員たちとスキーをしたという逸話は、今でも語り草であるらしい。また、愛知氏は、「この道わが旅」というタイトルのレコードを出しているけれども、この曲は、ゲーム・ソフト「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」のエンディング曲として使われているものである。最近では、愛知氏はオペラに自ら出演している。加えて、昨年末、「今度の年末年始にはフランス・アルプスで滑ってくるぞ」と聞かされた折には、雪斎も吹っ飛んだ。
 小泉純一郎総理もまた、本質的には「遊戯人」であろう。愛知氏にも小泉総理にも、政治を「遊戯」の類として扱ってきた風情がある。愛知氏も小泉総理も、政治を心底では「遊戯」と位置付けているから、「意地汚さ」とは無縁でいられる。結局のところ、政治という営みを手掛ける際には、「政治によって生きる」のではなく「政治のために生きる」という意味での「余裕」がなければ、歪んでしまうのである。翻って、たとえば岐阜では、だいぶ、「意地汚い」ことが行われていると伝えられている。個別の選挙区に関する論評は差し控えるけれども、此度の選挙戦で「刺客」候補と呼ばれる人々の多くは、堀江貴文氏や佐藤ゆかり氏を典型として、「政治によって生きる」必然性を持たない候補である。こうした候補が「意地汚い真似」をしなくてもよいのは、指摘するまでもない。
 雪斎が最も大事にしている映画『炎のランナー』 (Chariots of Fire、監督/ヒュー・ハドソン)には、主人公の仲間として由緒ある貴族の青年が登場する。この青年は、陸上競技に才能を見せるのであるけれども、「走ることは遊びだ」と嘯きながら、日々、鍛錬に励むのである。その青年は、広大な屋敷の庭にハードルを並べて練習する折、彼は、執事に命じてシャンパンを満たしたグラスを各ハードルの端に置かせ、「シャンパンをこぼしたら教えてくれ」と伝えるのである。このシーンは、映画全編の中でも最たる高雅さを漂わせるシーンである。万事、「ガツガツする」のは、英国紳士にあるまじき振る舞いであるけれども、それは、大和武士にとっても同じである。政治も、本来は、そうした「真剣な遊戯」であるはずなのである。
 無論、愛知氏の比例名簿順位は26位であるから、愛知氏が当選する蓋然性は、氏自身が認めるように、余り高くない。ただし、今でも、「人生は何時だって楽しむものだ」と教えてくれているかのような愛知氏には、感謝したいと思う。雪斎にとっては、愛知氏は、やはり「父親以上の存在」である。

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Comments

このニュースに接したとき、雪斎さんはどう思っているのかな、と思いましたが、この迅速な反応。どうもありがとうございます。
「真の文化は何らかの遊びの内容をもたずには存続してゆくことができない」、ですね。
それにしても私も高等遊民になりたいです、ほんとに。

Posted by: やじゅん | September 04, 2005 at 02:36 AM

訂正です。「高等遊民」→「遊戯人」でした。うっかり本音が出てしまったか(笑)。

Posted by: やじゅん | September 04, 2005 at 02:39 AM

なるほど 小生最近シャンパンを飲みながらいろいろ語らう機会がありましたが、おもしろいシーンをご紹介いただきありがとうございます。昨日は北千住の来た竹中大臣の演説を聞きました。さずが現役大臣で主客力は相当。いつもの白いジャケットでした。すくなくとも東京23区内では民主あまり冴えないようです

Posted by: 星の王子様 | September 04, 2005 at 06:08 AM

大学の先生に財布(収入源)は複数持つべきと教わりました。ひとつしかないとその財布に固守してしまい的確な判断ができないとのことです。実際はそうでなくても気持ちはそうありたいものです。

Posted by: ファガスの森 | September 04, 2005 at 08:54 AM

愛知さんの「男気」の発露でしょうか。当選確率はかぎりなくゼロに近いのですが、いつまでも政治家たらんという思いを秘めての、ちょっとした稚気のあらわれかもしれません。比例代表のあの位置は党職員などが並ぶのが普通ですが、あえてこれをやってしまうあたり、なにやら厳粛な思いもしてきます。いずれにしろ、「小泉劇場」ばかりが目立つ総選挙の裏側に咲いた、ちょっといい話、と受け止めました。

Posted by: hanasan | September 05, 2005 at 04:43 AM

・やじゅん殿
拙者は実は「遊戯人」の世界に憧れているのですよ。根が「工作人」気質なもので…。
・星の王子様殿
愛知氏にお会いになったのですか。
・ファガスの森殿
御説、同意します。「余裕」は持たねばならぬと思います。
・Hanasan殿
どうも、お世話になります。
「ああいうことをやってしまうのは、代議士らしい…」(秘書時代の口吻)と思います。

Posted by: 雪斎 | September 05, 2005 at 04:46 PM

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