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August 23, 2005

「弱者救済」という魔語

■ 雪斎は、小泉純一郎総理執政下の「構造改革」路線をかなり熱心に支持してきた。その理由は、色々とあるけれども、「構造改革」批判論者の議論を毛嫌いしているというのも、その理由の一つである。
 「構造改革」批判論者の議論の典型は、この路線を「弱肉強食」と評した上で、その「非情さ」や「冷酷さ」を批判するというものであろう。たとえば、国民新党が発表した「約束」には、「1.あたたかい政治をおこなう」の一項目があり、「基本政策方針」には、次のような一項目がある。
 1.わが党は「改革」という名の弱肉強食の政治を阻止するために戦います。
 なるほど、国民新党の存在意義が「反・小泉」にしかないことを示している点では、これほど判りやすい「政策方針」もないであろう。

 先刻、偶々、 『富を手にする「ただひとつ」の法則』(ウォレス・D・ワトルズ著、宇治田郁江翻訳)という書を見付け読んでみた。書中には、次のような記述がある。
 「貧困をなくすためには、恵まれない人々のことを考える富裕層が増えるのではなく、貧困層の中で必ず豊かになろうと決心する人の数が増すことが重要である」。
 1980年代、マーガレット・サッチャーが進めた「改革」の論理は、「富裕層を貧しくすることによって、貧しい人々を豊かにすることはできない」であった。この論理の下で、電気、ガス、水道、電話、鉄道、英国航空、郵便(株は政府保有)が完全に民営化された。前に触れたワトルズの「「金持ち本」の世界とサッチャーの政治世界との間には、共通の風景がある。結局、貧困や貧乏から逃れようとすれば、自力に依るほかはない。「誰かが助けてくれるであろう」という依存の心性は、国家の政策に投射された結果、無数の「国家に寄生する人々」を出現させた。現在、「構造改革」路線に反対する人々の多くは、この「国家に寄生する人々」か、あるいはその意を体している人々なのである。
 雪斎は、「弱者救済」などと軽々に口にする人々を毛嫌いしている。「弱者救済」を唱える人々が本当に守りたいのは、「可哀想な連中のために善意を示しているこの私って…、いいんじゃない」という自己イメージでしかないことが多い。そうしたイメージは、善意の衣を着ているが故に次第に傲慢の雰囲気を帯びるのである。しかし、そうした「弱者救済」の論理は、「弱者」が何時までも「弱者」であり続けることを前提にしている。「弱者救済」の論理が幅を利かせている限り、「弱者」は「強者」たることはできないのである。広島6区という選挙区は、その意味でも誠に面白い選挙区ではある。それは、「自助努力」堀江貴文と「弱者救済」亀井静香との対立という構図であろうか。ただし、何れにせよ、「尾道三部作」と呼ばれる大林宣彦監督作品や「尾道ラーメン」の名声が、亀井氏の「救済」の産物でないことは、確かである。
 「日本の国柄を守れ」という言葉で「構造改革」路線に反発する「右翼・保守」系論客・政治家と「格差拡大を許すな」と絶叫する「左翼・進歩」系政治家の認識には、奇妙な重なり合いがある。昔日の自民党と社会党の「五五年体制」には、「大きな政府」を前提とした「談合体制」という側面が多分にあったけれども、国民新党と社民党の政策上の類似性は、そうした「談合体制」の残滓を象徴的に示している。その意味では、此度の総選挙は、その「談合体制」の残滓を一掃するか、あるいは残存させるかも争点にしている。此度の総選挙は、これまでにない「歴史的な意味」を持つものになるのであろう。

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「国内政治」カテゴリの記事

Comments

「弱者」を「弱者」にとどめて自分達に依存させながら、彼らに「善意」を施して「自己の安泰」と「自尊心の充足」を得るという一種の「二重の依存」状況を打破できるかは大事な点ですね。
少し気になるのは、「国民新党」と「新党日本」そして鈴木宗男氏の「新党大地」の何れもが「新党」を唄いながら、こうした旧態依然とした価値観を掲げているということです。政治家も言葉を生業とする職種であるはずなのに、気づいていないのならその迂闊さは政治家としての資質を疑うもので、承知の上でやっているのならこれまた相手を疎んじるものです。
「旧き新党」の乱立を見るに付け、福沢諭吉の「独立の気概なき者は国を思うこと深切ならず」という言葉が胸に響きました。

Posted by: yu_19n | August 23, 2005 at 09:44 AM

マッタクその通りですね。100%賛同致します。今、民営化反対とかいってる連中は、むしろ、弱者救済という言葉に名を借りた既得権の温存でしかありません。確かに既存の価値観や、例えば護送船団方式などは過去には役に立ったのかもしれませんが今や百害あって一理なし、であります。国際競争に勝てないからです。今、まだこれでも少しは余裕のあるうちに、あらゆる分野で競争できるように体制を整える事こそ国家的課題というべきでしょう。その上で、本当の社会的弱者の救済を考えるというのが福祉の基本です。一体ソビエト社会主義をモデルにしてるのかね??と言いたくなっていますねえ。
また、伺います。

Posted by: ぐっちー | August 23, 2005 at 10:12 AM

「弱者救済」では政府に規制する人を増やすだけというのは分かるのですが、だからと言ってそれを批判するだけでは「弱者切り捨て」になってしまいませんか?
「弱者切り捨て」が批判されるのは、別に批判者が善人を装いたいからだけではなく、弱者がまともに生きていけなかったり希望を持てない社会は、社会的、経済的に悪化の一途をたどるからでしょう。
私は経済面ではリフレ政策を支持しているのですが、その大きな理由は「マクロ介入、ミクロ非介入」という原則にあります。個々の個人や企業の盛衰については自助努力に任せるが、社会全体が維持、発展するために必要な景気の維持は政府が保証しようという考え方です。
もっとも雪斎さんがこのエントリで批判しているのは、ミクロ的に個々の企業や個人の盛衰に介入しようとしている人なのでしょうから、その批判については私も同感です。
今後は、弱者が生活を維持して希望を持てるような社会にするために、政府が社会、経済においてどこまでマクロ的な介入をすべきかについて、政治的な議論が必要だと思いますし、そのようなマクロ的な介入を主張する人を、単に「構造改革路線に反対する人々」として切って捨ててはいけないと思います。

Posted by: Baatarism | August 23, 2005 at 12:53 PM

初めてコメントさせていただきます。いつも深慮深い文章を書いておられて、読むのを楽しみにしています。

私はもう10年以上も開発途上国の「構造調整」に携ってきました。いつも現地で「弱者救済」といって反対を唱える人たちのたいていは私腹を肥やしている人でした。真の弱者は常に「弱者救済」の旗印の外でした。本文中の「弱者救済」を唱える者に対する批判、私も同感です。

ただ、すべての人々が豊かになるインセンティブに反応可能かというとそうでなく、必然的に(一時的か、中長期的かに関わらず)悪影響を受ける人々は必ずいます。プラグマティックに考えると、構造調整を実現するには社会保障的セーフティネットがあるべきと考えるのが、開発途上国での構造調整実施の基本的な考えになっているように思います。(政治的摩擦をむやみにつくり、暴動や政変、内戦を誘発するよりはマシ)。ですので、この小泉改革路線、プラグマティックなものが見えてくるのかどうか気になるところです。

Posted by: どら | August 23, 2005 at 01:57 PM

>yn_19さん
>少し気になるのは、「国民新党」と「新党日本」そして鈴木宗男氏の「新党大地」の
>何れもが「新党」を唄いながら、こうした旧態依然とした価値観を掲げているということです。

私が思うに、彼らは「現実主義者」なんじゃないか、と。

例えば北海道の石狩地方中心部以外ってのは、もう既に「スカスカ」な訳ですよ。
つまりそこに税収や消費力を期待する事は出来ず、県庁役人か第三次産業従事者は
中央から来る金に依存するしか無い事を理解しとります。
古かろうが何だろうが、食ってくにはそれしか手が無いのだ、と覚悟決めてます。

Posted by: ペパロニ | August 23, 2005 at 03:05 PM

> 「日本の国柄を守れ」という言葉で「構造改
>革」路線に反発する「右翼・保守」系論客・政
>治家と「格差拡大を許すな」と絶叫する「左
>翼・進歩」系政治家の認識には、奇妙な重なり
>合いがある。

ああ、これは雪斎先生ご自身が2月にお書きに
なった二次元平面のA象限とD象限に属する
人々が手を取り合ってる図ですね。イラク
戦争に対する対米対応であったことと同じ
ですな(笑

Posted by: おおみや%NEET | August 23, 2005 at 06:44 PM

blogのレイアウト、色合い、雰囲気がガラッと変わりましたね。
夕方スーパーに行くと、『秋味』という季節限定ビールが売り出されていました。
東京も暑さは一服です。秋です。
選挙だあ。
失礼します。

Posted by: さぬきうどん | August 23, 2005 at 10:11 PM

古臭い話になりますが、ブレア政権の「第三の道」というスローガンの意味がまるでわからなかったです。ある分野で政府刊行物に目を通しているうちに、ブレア首相は人は見たいと思いたい現実しか見ないということを知っている人なんだなと思いました。異邦人の言葉を横から縦に直すだけでは(しかも他人の作業)我ながら芸がないのですが、政治の世界では誠実が最高の徳だが、正直はかならずしも徳ではないということでしょうか。

Posted by: Hache | August 24, 2005 at 01:22 AM

 いつも楽しく読ませていただいています。
 実は自分は公務員関連の仕事をしているのですがある厄介な病気持ちです。数年にいっぺんこれが爆発すると長期の入院もしくは自宅療養を強いられることもあり職場にも迷惑をかけています。大多数の人は投薬でなんとかなるのでこの病気自体は難病指定されることはないでしょう。が、自分を含め少数の悪化するタイプの人だと悪化の最中の仕事はとても無理でしょう。
 いっぽう公務員関連のくせにどちらかと言えばリバタリアン志向でもあります。なるべくなら国や誰の世話になることもなく自分の力で生きてゆきたいと。それなのにそんな身体ですからとても心苦しくて、何度も仕事をやめようと思いました。が自分も実家も特に資産もありません。アルバイトで生活しようにも悪化中はとても外出など無理ですし、いい時でも悪化につながる可能性があるので重労働はあまりできないと思います。
 結局子どものころから言い聞かせてきたように、いつか寛解して自由になれる、すごい薬か治療法が出現してこの病を追い払えたら今まで迷惑かけてきた分も返せるから今はしょうがないと無理に納得しながら日々だましだまし働いています。

 小泉さんやその支持者を非難するわけじゃありませんしこのエントリを批判するわけでもありません。自分はこのエントリに共感します。そして己の志向からもここ数年の舵取りから見ても、何より先年の冬から解散までの内外の政治状況の推移を見ていても今は小泉さん以外に託したい方はいない。ただこちらの文を読みながら、俺って弱者って言っていいのだよな、とふっと思ったのです。そうすると、俺は投票所で自分の死刑宣告にサインすることになるのかな…と、とても皮肉な気分になりました。笑おうかと思い泣こうかとも思いはしたけれどどちらもできない。自分たちの存在が国の足を引っ張るのはいやだけれど得心して死を選べるほどの人間でもない。自分が仮に良くたって同病のみんなに同じに振舞えなんていえない。弱者なんだから社民党や共産党に共感するか、あるいは亀井さんたちを支持するのが筋ってもんだろとも自分で思いますが…でも彼らが救ってくれるとも思えない。患者団体でも立ち上げて圧力団体を目指すか?とても無理。
上のぐっちさんみたいな力があれば、仕事をやめてなんとか投資で糊口をしのいで行けるかもしれませんが…。

 出口のないずれた独り言長々連ねてしまいました。すみません。
そぐわない書き込みということでしたら削除してください。

Posted by: 素人 | August 24, 2005 at 10:17 AM

↑の素人さん
羨ましいです。
わたしは酷い鬱で仕事が出来なくなって5年目。
公務員ではないので戻る職場はありません。
時々気力が戻るとアルバイトで食いつなぎ、ギリギリ生活しています。
会社員時代に贅沢をせず貯蓄に回してあったのもよかった…まあいずれは野垂れ死にでしょうが。

政治家に自分を救ってもらおうなんて発想はそもそもないです(助けてもらいたくて泣きつくなら地域の民生委員でしょう)。
「日本国」を救うのが政治家の役目でしょう。
衆愚に頼む旧態依然の政治家は全員辞めて欲しいと思う今日この頃です。

Posted by: 素人さんお大事に | August 24, 2005 at 11:02 AM

>羨ましいです。

 わかります。そう、自分はまだかなり恵まれています。自分と同じ病でもっと追い詰められた状況の人たちがいます。相談には乗ってあげられても、自分に救えるわけもない。今あの子やあの人たちはどうしているのだろう。
自分が仕事を失い、途方に暮れる時が来るなら、あの人たちの幾人かは確実にもっとひどい危機の中にいることだろうと思います。

 いや、同じ病気なんて関係ない。あなたのような薬でなかなかコントロールの利かないひどい鬱の方がいらっしゃる事も、直接ではないけれども存じています。

 やはりこの場にはそぐわないことを書いてしまったようです。いったい自分が政治に何を望むのか、政治にどう働きかけたいのか、だいたいこれは政治の話なのか、自分の書き込みは混乱しているばかりでさっぱり分からないですね。

Posted by: 素人 | August 24, 2005 at 07:42 PM

・yu-19n殿
・ぐっちー殿
拙者が影響を受けた「経済学者」は、福澤諭吉とフリードリッヒ・フォン・ハイエクなのです。だから、拙者は、原理的な独立自尊教徒かもしれません。
・baatarism殿
「魚を与えるよりも、釣りかたを教えよ」という諺がああります。「弱者救済」という発想は、「魚さえ与えておけばいい」というものですから、問題があるのですよ。
・とら殿 
今までの活動に敬意を表します。「独立自尊」哲学が必ずしも世界どこでも受け入れられるわけではないとすれば、そこで何をするかという別の哲学が大事になるかと思います。
・おおみや殿
この件、別にエントリーを用意します。
・さぬきうどん殿
「バカンス」は終わり、これから「仕事」です。
・ペパロニ殿
「すすきの」に行くと、そこで働いている女性は、「札幌以外の道内組」というのが、かなり多いのですね。ムネオ氏に期待が集まるのも、仕方がないところがあります。
・Hache殿
「外交官の仕事は誠実に嘘をつくことだ」というジョークもありますね。
・素人殿
・素人さんお大事に殿
拙者も身体的な条件では貴殿以上に悪い条件のもとで暮らしているかも知れませんね。

Posted by: 雪斎 | August 24, 2005 at 09:01 PM

>>雪斎様
こちらを愛読しているのにプロフィールもろくに読んでおりませんでした。今はじめて気づきました。恥じます。

何故雪斎様のblogに魅かれたか、納得が行く気がしました。本も今後読ませていただきます。

Posted by: 素人 | August 24, 2005 at 10:10 PM

>雪斎さん
「魚を与えるよりも、釣りかたを教えよ」は、私もその通りだと思います。
ただ、釣り方を教えても、海に魚がいなければ、人は飢え死にしてしまうでしょう。
だから、釣りかたを教えるだけでなく、海でたくさんの魚が生きられるように、海の環境を豊かにすることも重要だと思うのです。
「魚を与えようとする人」と「海を豊かにしようとする人」を混同して欲しくはないというのが、私の考えです。

Posted by: Baatarism | August 25, 2005 at 10:16 AM

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