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August 19, 2005

「1985年」への散歩

■ かんべえ殿の新著『1985年』(新潮新書)を読む。カバーの折り返しには、次のような文面が付されている。
 右肩上がりの発展を続ける戦後日本がたどり着いた「坂の上の雲」。それが1985年という年だった。プラザ合意、米ソ首脳会談、NTTの誕生・・・・この年を境に日本と世界は確実に姿を変えていく。阪神優勝、日航機墜落事故を始め、忘れ難い出来事もたくさんあった。「過去」と言い切るには新しく、「現在」と言うには時間が経ち過ぎた時代の記憶は、妙に苦くて懐かしい。愛惜の念と共に振り返る、「あの頃」の姿。
 NHKが午前三時頃に不定期に放送している番組に、『MUSIC BOX』というのがあるけれども、『1985年』を読むことには、そうした番組を見るのと同じような感覚に襲われる。多くの歴史書とは異なり、二十年前のことを振り返るのは、「今よりは若かった自分」との対話でもある。それは、どことなく『世界の中心で愛を叫ぶ』にも似たテイストだなと思う。『1985年』では、政治、経済、世界、技術などの七つの視点から、1985年の諸相が綴られている。雪斎も「1985年」への散歩に出てみよう。

 1985年、雪斎は二十歳であった。仙台で二年目の大学受験浪人をやっていた。三月の受験で、めでたく「札幌行き」と相成るはずであったが、何故か足止めを食らった。不合格を知った日、「畜生、余分の一年を無駄にすることになるのか…」と荒れた記憶がある。8月13日、「御巣鷹山事故」が起こった日、甲子園球場では、雪斎の母校、青森県立八戸高校のチームが白球を追っていた。事故の故に、スポーツ・ニュースは流れ、母校チームのことは報じられなかった。こうしたことは、今となっては、ちょっとした「トリビア」にはなるのであろう。
 雪斎は、1985年には受験勉強をせずに、「小論文」対策と称して、専ら時事評論を読んでいた。たとえば、次のような書である。
 ① 永井陽之助著『現代と戦略』』(85年の出版)
    岡崎久彦著『戦略的思考とは何か』』(前々年83年の出版)
 ② 山崎正和著『柔らかい個人主義の誕生』(前年84年の出版)
 ③ 西部邁著『大衆への反逆』』(前々年83年の出版)
 1985年の論壇を賑わせたのは、永井先生と岡崎氏の「戦略リアリズム論争」であった。この論争は、保革対立化の「戦争か平和か」ではなく、「現実主義の想定する『現実』とは何か」ということを巡るものであった。こういうものにリアル・タイムで触れることができたのは、意義深いことであったと思う。
 因みに、1985年には、『保守反動思想家に学ぶ本―柳田国男から山崎正和まで 別冊宝島 47』という書も出版された。今では、「保守論壇」も、色々な人々が当たり前ご参入してきて、内情がごちゃごちゃしたものになっているけれども、当時は、山崎正和氏ですら「保守反動」と呼ばれたのである。雪斎は、山崎氏が「保守反動」と呼ばれた意味においては「保守反動」であるけれども、山崎氏が「リベラル」と呼ばれる意味では「リベラル」である。ミハイル・ゴルバチョフが登場した1985年、後の「左翼」思潮の後退と「保守論壇」の分裂の萌芽は、既に現れ始めていたのであろう。
 1985年当時、雪斎は「畜生、この一年は無駄だ」と嘆いた。二十年後の今、この一年は、誠に多くの「種」を蒔いた年になったと思う。この一年に読んだ書の多くが、現在の思考の「型」を作ったのである。もし、二十年前の自分に会ったら、雪斎は何と語り掛けるであろうか。雪斎は、永井先生や岡崎氏、山崎氏、西部氏の書を熱心に読んでいた「若き日」の自分には、何も言わずに微笑んでいるだけであろう。その後の歳月の中で、これらの知識人とは実際に知遇を得ることになったのだから…。そして、予備校の外国人英語教師に「将来の職業は」と問われて、何の根拠もなく「プロフェッサーだ」と答えた当時の雪斎には、本当に「アシスタント・プロフェッサー」になっている二十年後の姿など予想だにできまい。確かに、かんべえ殿が書いておられたように、1985年は、「いい時代」だったと思う。かんべえ殿、「佳き書」をありがとうございました。

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Comments

雪斎どの 佳き書評をありがとうございます。

『保守反動思想家に学ぶ本―柳田国男から山崎正和まで 別冊宝島 47』は当方も持っておりました。「へえー、福田恒存って評価が高いんだあ」などと感心してました。

『戦略的思考とは何か』は、会社の人事・研修課の推薦図書だったせいで読みました。後年、岡崎氏と知遇を得るとは思いませんでした。この頃の読書としては、『失敗の本質』も印象に残っています。

どうも拙著は、とりわけ同世代人に好評なようです。まあ、40代の人間が20代のことを振り返えると、懐かしくないわけがないのであって、そういう意味では最初から「ポテンヒット狙い」の本であります。一人でも多くの同世代人を、「80年代シンドローム」に巻き込みたいと思っております。では。

Posted by: かんべえ | August 19, 2005 09:40 AM

『1985年』は変わった大人の遊びですね。単なる懐古趣味とも異なる。「へぇ」って話が多いです。それにしても、お二人ともお若い時分から老成していたことを伺わせる記事とコメントです。

当時を振り返ると、学校に行って部活してパソコンをいじって片手まで勉強してあとは日本文学を読んでいた記憶ぐらいでしょうか。印象に残っているのは故高坂正尭氏の『文明が衰亡するとき』でしょうか。勢いでギボンを読もうとして挫折しました。

それにしても事実から受ける印象というのはこれほどまでに人それぞれなんだなあと思いました。85年当時と現在を比較すれば躊躇なく現在の方がよいと答えます。データを見ると、今後20年はたしかに厳しいですが、これから社会にでる若い人を考えると、悲観的なことばかり言うのは大人として無責任だと思います。1985年を「坂の上の雲」にしてしまうのか、一通過点にするのかは歴史などという曖昧なものではなくて今、生きている人たちにかかっていることですから。

Posted by: Hache | August 19, 2005 08:08 PM

予備校で仙台にいながら、あえて札幌に
いくあたり。二年目の浪人生活を無駄に
しなかったあたり。さすがです。

Posted by: おおみや%NEETな岩手県人 | August 19, 2005 09:37 PM

雪斎様の回想を読んでいて、もっと年齢が上の方だとばかり誤解していました。
著作は、全てではないですが読んでいるのに。私の方が一回り上なんですよね。
雪斎殿(!)、お若いです。威張ってみたりして。
私は、現役で国立大学に入学しましたが、高校時代読んでいた本と言えば、いろいろあるんでしょうが、今思い出すのはキルケゴールの『死に至る病』です。完読しなかったと思います。
岡崎さんの本は随分後に読みました。後の本は? 永井陽之助さんの本は多分持っているかも知れませんが、読んでいませんね。私はずっと左翼だったんで。新左翼というのですかね。
かんべいさんの本『1985年』で、彼がニフティーサーブの立ち上げに深く関わったという記述に、ああと思いました。彼の会社、日商岩井。コンピュサーブ社。
私も、ある程度昔からパソコン通信の一会員でしたから。ニフティーかビッグローブ(NEC系、名前は別でしたね)とか悩みました。両方に加入していたこともありました。かんべいさんがそういう仕事をされていたんだなあ。ということです。
変な思い出話で失礼しました。

Posted by: さぬきうどん | August 20, 2005 01:01 AM

・かんべえ殿
 1985年といえば、『特捜最前線』の放送終了の年でしたね。時代劇と刑事ドラマの後退は、何か意味があるのでしょうか。
・hache殿
確かに「老成」しているという評は以前も聞いたことがあります。
・おおみや殿
恐縮です。
・さぬきうどん殿
ありがとうございます。
ネット空間では「年齢不詳」になりますが、
よろしくお付き合い下さい。

Posted by: 雪斎 | August 20, 2005 08:09 AM

かんべえ氏の「1985年」、時代の設定が上手いなあと痛感.歴史に入るほど古くないが、現在進行形というほど新しくない.目の付け所がいいですなあ.フレデリック.アレンの「オンリー.イエスタデイ」みたいで.
ある人が1985年から現代史が始まると言いました.その人の根拠はプラザ合意ですけど、ゴルヴァチョフ登場もそうでしょう.阪神が優勝した(余分か?)こともあるし.雪斎氏の20年は受験生から政治学者への20年ですか.やはり短いようで長い20年ですね.ふと思い出したのですが、20年前、小生は日比谷にある企業に勤めていたとき日商岩井発行の面白い社内雑誌(名前は失念)を愛読してました.ひょっとすると、あの編集を担当していたのはかんべえ氏かも.

Posted by: M.N.生 | August 21, 2005 10:15 AM

MN生さま

その社内誌とは、広報誌の"Tradepia"(トレードピア)ではないですか? 1987年から90年までは小生が編集を担当しておりました。図星、であります。

Posted by: かんべえ | August 21, 2005 02:56 PM

・M.N生殿
 実は「バブルの最盛期」には、拙者は『オンリー・イエスタディ』を愛読していました。だから、「何時かは来るぜ、『暗黒の木曜日』。早く来い来い、『暗黒の木曜日』。」と嘯いていました。「貧乏学生」の僻みだったと思います。

・かんべえ殿
 雑誌編集者の真似事は、拙者もやっていました。だから、編集サイドに無理はいわないことにしています。「編集」は難儀な作業ですからね。ところで、『1985年』の編集は、D・Y氏でしたか。以前、Y氏には世話になりました。

Posted by: 雪斎 | August 21, 2005 05:31 PM

ソ、ソ、ソオーでした.トレードピア.あれは面白かったです.それで、小生の同僚の女性が社内報の編集担当者になったとき、参考にせいやとアドヴァイスしたことを思い出しました.

Posted by: M.N.生 | August 21, 2005 09:40 PM

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» 吉崎達彦著「1985年」 [らくちんのつれづれ暮らし]
いい意味で知的「王様のアイデア」のような本です。著者と同年代の僕にとって、1985年以降の社会的なできごとは、時系列が混乱しがちで、そういう頭の中を整理するのにお役立ちです。例えば、1985年の円高の背景と1995年の円高の背景、筑波博と花博、渡辺淳一の「化身」と「失楽園」のストーリーをごちゃごちゃに混じって記憶していたりして困ります。渡辺淳一の小説などは、間違えたところで実害はないですが、博覧会などは、著者も指摘されているとおり、誰と何を見たかくらい思い出しておかないと、実生活で困ること...... [Read More]

Tracked on September 04, 2005 10:23 AM

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