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May 29, 2005

『小泉総理、靖国神社参拝の歌』

■ 昭和四十年代後半、『激しい恋』(昭和49年5月25日シングルリリース)という歌が流行っていた。歌っていたのは、当時、「新御三家」の一人として人気の絶頂にあった西城秀樹である。この時期の歌というのは、何故か、色々と頭に残っているものである。

やめろと言われても 今では遅すぎた
激しい恋いの風に 巻き込まれたら最後さ
やめろと言われても 一度決めた心
この身を引き裂くまで
恋にこがれて やかれて
もしも恋が かなうならば
どんなことでもするだろう
僕の人生を変えてしまうのか
黒い 黒い 瞳の誘惑

やめろと言われたら 死んでも離さない
地の果てまでも行こう 君をこの手に抱くなら
やめろと言われたら よけいに燃え上がる
この身引き裂くまで
恋にこがれて やかれて
切ない胸 夜はふける
これが恋の 仕打ちなのか
僕の人生を 狂わせるような
黒い 黒い 瞳の誘惑

 この歌詞を見ながら思い浮かべたのは、小泉純一郎総理が靖国神社参拝に寄せる心理である。雪斎は、これの替え歌として、『小泉総理、靖国神社参拝の歌』を詠んでみる。

 □ 『小泉総理、靖国神社参拝の歌』
       (元歌/『激しい恋』、作詞/雪斎)

やめろと言われても 今では遅すぎた
初当選以来三十年 続けてきた参拝さ
やめろと言われても 一度決めた心
政治から身を引くまで
英霊への感謝を 示して
もしも国益に 沿う事ならば
どんなことでもするだろう
僕の人生は 変わらないのだよ
今年 何時か 参拝に行くのだ

やめろと言われたら 絶対に行ってやるぜ
何が何でも行こう 英霊に誠を捧げるなら
やめろと言われたら よけいに燃え上がる
政治から身を引くまで
英霊への感謝を 示して
中国 韓国 何時まで吠える
これが隣国の 仕打ちなのか
僕の人生は 狂わないのだよ
今年 何時か 参拝に行くのだ

 どうも替え歌としての出来が今ひとつのような気がしないでもないけれども、小泉総理の心理は、このようなものではないであろうか。雪斎は、小泉総理は、多分、年中の然るべき時期に靖国参拝を実行するのであろうと見ている。小泉総理は、結局、司馬遼太郎の言葉にある「狂」の人物なのであろう思う。司馬遼太郎は、維新回天の魁となった吉田松陰や高杉晋作を「狂」と呼び、「狂」が大業を成就するためには大事と書いているのである。確かに、周囲が見えなくなるほどの執着力がなければ、物事が成ることはないのであろう。
 雪斎もまた、若き日の「狂」の感覚を取り戻して見たいものだと思っている。確かに、雪斎の三十歳前後までの日々は、「狂」の日々であった。齢六十を過ぎても尚、「狂」の世界に身を置く人物を宰相にしているのが、現下の我が国である。雪斎は、そうした「狂」を危うく感じるのと同時に、好ましくも感じている。

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Comments

「狂」タイプの高杉、松陰らが維新の推進力になったのは間違いないですが、明治新政府をまとめ挙げたのは、大久保、伊藤のような「実務家」タイプでした。
小泉首相の後継は、手堅いタイプが良いですね。

Posted by: やすゆき | May 29, 2005 at 06:35 PM

初めまして。いつも愛読させていただいております。
明治の元勲についての話ですが、大久保・伊藤を単に実務家というのはおかしいと思います。そもそも維新に参加した事自体「狂」とみるべきでしょう。

ただ彼らは欧米列強というさらに巨大な「狂」を熟知していたから実務家に見えているだけで、大久保のように自分の郷里を灰燼にしてでも将来の欧米との対決に備えた事を「実務家」でくくる事は無茶ではないでしょうか。伊藤にしても暗殺されたくらいですからむしろ「狂」の人とみるべきというのが私の意見です。

西郷=民族派で「狂」とみるのも少し考慮が必要です。江戸をいざとなれば火の海にとか「戦というものは血を流して、血を流して・・・」と言う事は凄く冷徹といえば冷徹で、単に「狂」の産物というよりは戦争の現実というものを大久保以上に鋭く見据えていた部分があると言ってもよく、これで「熱さ」と捕らえるのは一面的ではないでしょうか。

小泉首相の靖国参拝、ただ参拝と言う事を考えれば「狂」でしょう。しかし再び反日運動を過激化させ、中国をオリンピック開催が出来なくなるまで混乱に陥れることまで考えているならば「冷静な外交」といえましょう。

国を背負うという事自体が「狂」のなせる業で、問題は状況をみているか否かの差に過ぎないのではないでしょうか。

Posted by: ペルゼウス | May 29, 2005 at 11:17 PM

相手を過激化させ混乱に陥れることまでしてしまう事が「冷静な外交」だと言えるでしょうか。
それは、単に「感情と感情」がぶつかり合うだけの愚の骨頂としか思えません。

そこまでいくと。80年代以前ならまだしも。現状における様々な日本と中国の関係を考えてみるにつけ・・・なんらの「国益」にも合致しえないと思いますが。

中国に新たなガス抜きを提案をしてしまう芸当ができることこそ「冷静なる外交」ではないでしょうか。

Posted by: パックス | May 29, 2005 at 11:35 PM

こちらが騒がなければ十分冷静な外交でしょう。感情をぶつけたがるのは向こうのほうで我々の側ではない。

それに向こうが恐怖を覚えるくらいでなくてはカードにさえなりません。ガス抜き提案などそれからです。

外交とはおともたちつきあいではないのですから。

Posted by: ペルゼウス | May 30, 2005 at 01:45 AM

追記
どうも「元・日本兵」は怪しいものらしいですね。仲介人が相当のカネも要求しているとか。

しかし、嘘としてもどうやってそんなネタを考えたのか。もう横井さんや小野田さんから相当な時間が経過していますから。

Posted by: ペルゼウス | May 30, 2005 at 01:55 AM

小泉首相は信念を曲げない事を信念としている節があります。ここまでたたかれても変えないとなると、維持でも変えないぞという意気込みも伝わってきます。
いい悪いは別として、その信念で首相になれたとも思えます。
中国も外圧では決して変わらない国のようで、意外と似たもの同士で反発しているのかもしれません。
「その気持ちの強さ」雪斎さんの気持ちも伝わります。

Posted by: ファガスの森 | May 30, 2005 at 09:43 PM

・やすゆき殿
司馬遼太郎は、長州系の志士の「狂」を書いたと思いますが、あの時代は、上から下まで「狂」を共有していたのだと思います。「新撰組」も立派に「狂」の組織だったですし…。

・バックス殿
・ペルセウス殿
はじめまして。
中国ネタは難しいですね。拙者は「ガス抜き」協力は考慮すべきだと思いますが、タイミングを間違えると、日本国内から「へたれ」と罵られかねないのですな。どちらかの「勝ち」がどちらかの「負け」にならないような落着の仕方を模索する必要があると思われます。

・ファガスの森殿
お久しぶりでございます。
結局、小泉総理の「狂」、即ち「若さ」は止められないのでしょうね。人間、齢を重ねると「悟って」しまって「狂」を忘れるのですが、これが果して良いことなのかどうか。

Posted by: 雪斎 | May 31, 2005 at 04:02 AM

こんにちわ。はじめまして。

>>吉田松陰や高杉晋作を「狂」と呼び

司馬が呼んだのではなく、彼らは自称していたんですよ。

松下村塾のひとびと;

実は彼らは きちがい なんです。
おいらが最初彼らを知って調べたとき、外国船に砲撃するわ、英国公使館を焼き討ちするわ、老中暗殺を企てるわ、こいつら きちがい だな!と思っていたら、なんと!松陰は 狂 をキーワードに掲げ、山縣はそれに呼応して号を 狂介 と称していた。それを知ったとき、おいらは、舌をまくやら、恐れ入るやら....。

Posted by: いか@ | June 06, 2005 at 10:17 PM

・いか殿
ご指摘ありがとうございます。
吉田松陰や山縣有朋における「狂」というのは、確信犯的な「狂」ですな。だから、凄いものがあります。

Posted by: 雪斎 | June 08, 2005 at 12:53 PM

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