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April 22, 2005

『漢書』が示す日本の安全保障・各論二

■ 雪斎が幼少の頃、自衛官だった父親が三島由紀夫のことを罵っていたことがあった。雪斎の父親にとっては、三島とは、「総監部に乱入して割腹して果てた馬鹿」に過ぎなかった。雪斎の父親が奉職していた頃の自衛隊は、現在とは異なり国民的な共感が乏しい「日陰者の存在」としての軍隊であった。そうした「日陰者の軍隊」の中で「使うことのない一剣」を磨き続けた雪斎の父親にしてみれば、三島は、江藤淳の言葉を借りれば、「『ごっこ』の世界」で軍隊を語ろうとした輩であったのであろう。

 無論、雪斎は、一時期、三島の小説を集中的に読んでいた。三島が戦後文壇に残した足跡は、誰にも否定できまい。しかし、文学者が軍事や安全保障を語る折に、「観念主義」の様相を鮮やかに示すようになるのは、何故であろうか。おそらくは、文学者にとっては、軍隊は国家の威信や矜持」を体現する組織であるという意味合いが、大事なものであろう。そうであるが故に、文学者は、軍隊が直面する国際環境の変化や、その変化に応じた軍隊の役割の有り様には、二次的な関心しか払っていない。「日本核武装論」を唱える論者の多くが「三島亜流」とも呼ぶべき存在であるのは、彼らにおける「核武装」の論理が専ら「独立国家としての矜持」の確認に結び付いていることを考え併せれば、誠に興味深い。「保守論壇」と称されるものに関わりを持つ論客の多くが、様々な対外政策案件に関して「対外硬」の色彩を濃くするのは、彼らが程度の差はあれ三島の影響の下にあることを踏まえれば、当然のことなのである。

■ 『漢書』が示す日本全保障・各論二/「驕兵」の不毛

 「国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵が驕する者は滅ぶ」。この『漢書』「魏相丙吉傳」中の言葉は、「兵」という言葉で表現される政策、制度、さらには組織における「不易」と「流行」を想い起こさせる。
 古来、「兵」に期待された役割は、一面においては、周囲に自らの「威」を示すことによって、自らに対する攻撃を抑止することであった。そうであるが故にこそ、「兵を養うこと千日、用いるは一朝にあり」という言葉にもあるように、何れの国々でも、相当な精力を費やしながら合理的な国防政策を立案し、然るべき精強さと錬度を伴った軍事組織を用意しようとする。たとえば旧ソ連時代、十一月七日の革命記念日には、大掛かりな軍事パレードが「赤の広場」を舞台に繰り広げられていたし、現在のフランスでも、毎年七月十四日の革命記念日には、シャンゼリゼ大通りで似たような軍事パレードが行われる。それは、「兵」が国家の「威」に直接に結び付いたものである限りは、奇異ともいえない風景なのである。このことが、「兵」における「不易」である。
 ただし、「威」を示す際に踏まえられるべき体裁は、時代の推移によって変化するし、「威」を示すべきと想定される対象の性格も、特に近年では劇的に変容している。「兵」という枠組もまた、こうした変化や変容に対応できなければ、かなり歪つなものになるであろう。この「兵」における「流行」は、次の二つの観点から説明できよう。
 先ず、現在の国際社会では、周囲に「威を示す」姿勢を露骨に表すことは、受け容れられない。事実、国連憲章第二条第四項には、「総ての加盟国は…武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない」と記されている。この国連憲章の規定は、現行憲法典第九条にも相通じた思想に裏付けられているけれども、第二次世界大戦後の「国際常識」になっていることは、間違いない。たとえばイラクに派遣された自衛隊部隊の活動が、派遣決定までの国論の分裂にもかかわらず相応の評価を受けているのは、それが「威を示す」のを目的としていないからである。然るに、先刻、中国政府は、台湾情勢を念頭に置いた「反国家分裂法案」を採択に持ち込んだことによって、国際社会の懸念を招いているけれども、そのことは、「反国家分裂法案」が台湾に対して「威を示す」性格を余りにも色濃くしたものであることに拠っている。中国政府の対外姿勢が時代錯誤の謗りを免れないのは、そのような事情の故である。
 次に、「兵」という枠組によって「威」を示す目的は、従来は国家による「侵略行為」の抑止であった。たとえば核兵器は、そのような抑止の論理の究極に位置するものであったし、それ故にこそ、その開発と整備は、冷戦期の米ソ両国では大々的に図られてきたのである。初期の大量報復戦略から柔軟反応戦略を経て相互確証破壊戦略に至る核戦略の変遷は、「実際には使えない兵器」としての核兵器によって示される「威」の信憑性を保つための努力に他ならかった。然るに、テロリズムは、「兵」が備えなければならないものの一つであるけれども、その跳梁跋扈に対しては、核兵器による抑止は、ほとんど機能しない。このような情勢の変化の中では、核兵器に象徴される従来の「兵」の有り様は、常々、その有効性が検証されなければならない。「兵」における「抑止」の中身もまた、年々、複雑になっているのである。
 本来、「兵」は、自らの独立や安全を確保するためのものであるけれども、それが一定の水準まで体裁を整えた後では、周囲に無用な「畏怖」の感情を植え付けるものに変貌することがある。「兵が驕する者は滅ぶ」という『漢書』「魏相丙吉傳」中の言葉は、そのような変貌の危険を指しているのである。兵法書『孫子』にも記されているように、「兵」は、一国の命運が賭けられているという意味において「国の大事」に他ならない。しかし、その一方で留意されるべきは、「兵」は「国の総て」ではないということである。「兵」の意義を相対化しつつ、それに向き合う姿勢が大事であるのは、何時の世でも変わらないようである。
    『月刊自由民主』(二〇〇五年五月号)掲載

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雪斎の随想録を観察。 といってもアクセス10万もするところにTBするのはなぁ。まあいいや。(適当 プロフィールをたどるまでもなく素晴らしいお方です。 こういった方が政治家の後ろにいると考えるだけで救われる想いです。 『漢書』が示す日本の安全保障・総論 『漢書』が示す日本の安全保障・各論一 『漢書』が示す日本の安全保障・各論二 お国大事に際する時の向き合い方の大事さなど、非常にわかりやすく 解説していらっしゃいます。 中学時代、漢書と呼べるもので唯一読... [Read More]

Tracked on May 14, 2005 at 01:06 PM

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