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April 18, 2005

韓国「中央日報」の記事

■ 韓国紙『中央日報』〈4月15日付、日本語電子版〉「オピニオン・噴水台」欄に載った「名誉ある孤立」という気jには、次のような記述がある。

英国の名誉ある孤立は、1805年、トラファルガーの海戦でフランス-スペイン連合艦隊を沈没させ、世界の海を制覇しながら本格化した。 名誉を守る均衡者であるためには、覇権的武力が必要なためだ。 外務長官パルマーストン卿は交渉テーブルで、いつもネルソン提督の勇気と愛国心から話し始めた。 必要なら武力を行使する可能性もあるという示威だった。 パルマーストン卿は「(国際政治では)永遠の同志も永遠の敵もない。 ただ永遠の国家利益だけがあるだけ」という名言を残した。
英国の名誉ある孤立は19世紀とともに終わった。 均衡者として新興プロシアの急成長をけん制できず、世界大戦を招いたのが大きな理由だ。 このため20世紀の覇権は米国に移った。 性急な一部の人は、21世紀の覇権が中国に移るという予測を出している。 日本は米国の代理者として地域覇権を掌握しようとする。 不可避的に北東アジアの緊張は次第に高まるようだ。 永遠の同志も敵もない国際政治で、力を持たずに名誉を守るのは難しい。

 この記事は、眞に興味深い。雪斎も、「韓国『バランサー』論の馬鹿馬鹿しさ」と題したエントリーの中で、「光栄ある孤立」の時期の英国の外交流儀について説明した。雪斎は、このエントリーの中で、国際政治の「バランサー」として振る舞うには相当な国力の裏付けが必要になると指摘し、韓国が極東地域の「バランサー」たり得るという議論の無理を論じた。
 この記事を書いたのは、『中央日報』紙のロンドン特派員のようである。なるほど、この記事を書いた記者は、十九世紀英国外交に題材を採りながら、国際政治の「バランサー」として振る舞う難しさを指摘している。それは、盧武鉉大統領の「韓国バランサー」論への批判にもなっている。実際、「韓国バランサー」論は、米韓同盟関係に軋みを生じさせるものとして、韓国国内の保守層からも批判を招いているのである。現在、盧武鉉大統領の支持層は、「386世代」という1960年代生まれの極めて進歩色の強い層であるけれども、『中央日報』は、『東亜日報』と並んで保守色の強い論調で知られる。とかく、韓国進歩層が「コリア・ファースト」の熱情に浮かされて「反米」と「反日」の両方に走ろうとするのに対して、保守層は、「反米」の線だけは抑えようとしている。この記事は、そうした保守層の見方を反映しているのである。
 ただし、この記事は、韓国の新聞であるが故のバイアスから免れてはいないようである。「英国の名誉ある孤立は19世紀とともに終わった。 均衡者として新興プロシアの急成長をけん制できず、世界大戦を招いたのが大きな理由だ」という記述があるけれども、実際には、英国の「光栄ある孤立」の終わりは、極東でのロシアでの勢力拡大を押さえ込むために明治・日本と同盟を結んだことにある。元勲・伊藤博文は、そうした事情を冷徹に理解していればこそ、日露戦争を「邏卒番兵の役」と呼んだ。伊藤にしてみれば、明治・日本が死力を尽くした対露戦争ですら、結局のところは、大英帝国の「代貸」として闘ったものでしかなかったのである。「代貸」の闘いであるが故にこそ、英国は日本に対して、カネ、情報、軍備の面でサポートをしたわけである。これは、身震いするほどに怜悧な実主義の認識である。『中央日報』記事には、英国の「光栄ある孤立」の終焉と「日英同盟」の締結の関連は言及されていないけれども、日英同盟の締結と日露戦争の日本勝利は、「亡国の36年」の序奏みたいなところがあるから、韓国メディアにとっては肯定的には言及し難い話なのであろう。
 こうした現実主義者・伊藤を暗殺したのが、朝鮮の民族主義者である。国家の興隆期には、政府における「冷徹な現実主義」が「民間の「情熱的な理想主義・民族主義・愛国主義」を中和する光景が出現する。今の中韓両国に、そうした「冷徹な現実主義」はあるのだろうか。

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Comments

英国の外交でほれぼれするのは、情報の収集と分析能力、信義を重んじる態度(しばしば機会主義的ではあるけれど)などの「ソフト・パワー」です。軍事力や経済力をもった大国なら歴史上いくらでも存在するけれども、その使い方を熟知していた国は非常に限られる。スペインを破り(オランダいじめはどうかと思いますが)、フランスを抑えこみ、ドイツから牙を抜いた島国は、素朴にすごいと思います。

記事で分析されているように英国は日露戦争で自国の利益のために同盟国としての役割を果たしたわけですが、それが一つ一つ同盟の信義にかなっていてかなわないなあと思います。他方で第一次大戦でのわが方の対応はなんとも狭量で彼我の差を感じます。歴史にイフは禁句とはいえ、日英同盟が存続していたら、ナチスなどと手を組むことはなく、まして対米戦争もなく、思わずあつくなってしまいます。アジアでのバランサーなど日本でもうまくゆかなかった。自国の利益と他国の利益の一致点を見出して、顕在化させるのは生半可な外交では難しい。まして中韓などでは不可能でしょう。

力を得るのは難しいが、それを適切に使うのはもっと難しい。お隣が要求する歴史認識とは別に戦前史を日本人として振り返ることは非常に大切だと思います。

Posted by: Hache | April 18, 2005 at 01:37 AM

この記事「中央日報」ですよね…

Posted by: 通りすがり | April 18, 2005 at 05:08 AM

>通りすがり殿
ご指摘、多謝。訂正しました。
>hache殿
「力を得るのは難しいが、それを適切に使うのはもっと難しい」というご指摘は、カネの場合でも同じだと思います。スケールの大きな構想力と細心の外交能力が共存しているのが、イギリスですな。拙者は、イギリスには何時も倣いたいと思っていました。

Posted by: 雪斎 | April 18, 2005 at 05:27 AM

ご無沙汰しています。

日英同盟が結ばれた1902年というと、ボーア戦争が終結した年なので、英国の国力がかなり弱っており、少なくてもロシアとドイツ帝国の2つを敵に回すほどの余裕はなかったものと思われます。
(海軍国が全世界から約50万人の兵士を集めてきた、という時点でかなり面倒な戦争だったかと)

ボーア戦争
http://www.dupuy.jp/boer.html

日英同盟
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ni/nichieidoumei.html

フリードリヒ大王~ナポレオン戦争期において、プロイセンへの援助(でフランスの足を引っ張る)など、英国の外交には「自分のできないことは人に任せる、でも要所は抑える」現実姿勢が伝統的にありますね。

また同盟関係を積極的(援助するetc.)に守る、という点で、味方につけたら頼もしく、敵に回したら怖い、というのは大きな外交上の武器でもありますよね。

日本外交も・・・このころ~日露戦争までは現実主義が徹底していたと思うのですが、WWIあたりから雲行きが怪しくなっていったと思います。
(独ソ不可侵条約の成立を受けて「欧州の天地は複雑怪奇」なんていっている時点で、外交のセンスが疑われますね)

Posted by: とーます | April 19, 2005 at 10:20 PM

>トーマス殿
「ワーテルロー勝利」」の情報を掴んで財を成したロスチャイルド卿の時代以来、投資と国際情勢分析には切っても切れない関係があるようです。
拙者は、一昨日の暴落には、ちょっとびっくりしてしまいました。
一昨日、暴落の最中に0買った素材関連株が昨日、一気に10%以上騰がったのにも、びっくりしましたが…・

Posted by: 雪斎 | April 20, 2005 at 12:08 AM

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