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April 29, 2005

「孫子」の風景

■ 雪斎は、勤務先の私立大学で何を教えているのか。今年度、三年生のゼミでは『孫子』を読んで、色々と議論をさせることにした。kenboy3先生からは、「ゼミ生が社会に出て、妙に戦略家っぽくなるかもしれませんね。」というコメントをもらった。無論、雪斎が相手にしている学生が総て「戦略家」になるというわけでもないのであろう。しかし、生きることも「戦い」である以上、「戦いの仕方」を学ぶことは、「生き方」を学ぶことでもある。雪斎は、そうした想いが若い人々に伝わればいいと思っている。
 ところで、最近の日本外交の風景を観察しながら思い浮かべるのは、『孫子』「形勢篇」の次の件である。
 

孫子曰く、昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。故に曰く、「勝は知るべし、而して為すべからざる」と。

 この件は、大概、つぎのような意味である。
 「古の巧みに戦う者は、まず敵軍が自軍を攻撃しても勝つことのできない態勢を作り上げた上で、敵軍が態勢を崩して、自軍が攻撃すれば勝てる態勢になるのを待った。敵が自軍に勝てない態勢を作り上げるのは己れに属することであるけれども、自軍が敵軍に勝てる態勢になるかどうかは敵軍に属することである。だから、巧みな者でも、敵軍が決して自軍に勝てない態勢をつくることはできても、敵に態勢を崩して自軍が攻撃すれば勝てる態勢を取らせることはできない。それ故に、『敵軍がこうすれば自軍はこうするというように勝利を予測することはできても、それを必ず実現することはできない』と言われるのである」。
 テニスの試合では、ラリーの応酬が続くことがあるけれども、ここで採られる戦略は、「相手が打ち込んだボールを徹底して拾う」ことである。相手がラリーの応酬に痺れを切らして、力んでスマッシュをしたらライン・オーバーとなり、こちらにポイントが付いた。そういう事態を誘うのが、戦略の要諦なのである。
 昨今の対中関係や対韓関係の様相を観察すると浮かび上がるのは、小泉純一郎総理以下の我が国政府が、中韓両国が対日批判に躍起になればなるほど「泥沼に足を取られる」状態を作り出していることである。雪斎は、たとえば先般の小泉総理の「バンドン会議五十年記念演説」を高く評価しているけれども、その最たる所以は、「先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り」という仕組を作ったことである。村山談話の引用は、「先ず勝つべからざるを為」」すためには、巧妙な仕掛だったのである。小泉演説の直後には、韓国政府代表は相変わらず対日批判をやったのであるけれども、それは、「力んでスマッシュをしたらライン・オーバーとなってポイントを失った」振る舞いの典型であるといえよう。ネット世界では「釣る」という言葉があるのらしいけれども、中国政府は「釣られる」一歩手前で踏みとどまって「反日」を封じ込め始めたのに対して、韓国は「釣られた」まま醜態を晒すことになった。
 ただし、こうした戦略の前提は、とにかく粘り強く自らの「美風」を護り続けることである。「朱に交われば赤くなる」という諺があるけれども、現在の中韓両国が陥った「生煮えのナショナリズム」に煽られて、自らの内に「偏狭さ」の芽を育むことだけは、我が国は避けなければならない。明治維新に際して発布された『五箇条の御誓文』には、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」、「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」という条文がある。少なくとも「開放性」、「多様性」、「進取性」の尊重が、明治以降の我が国の大義であった。紛れもない「共産党一党独裁国家」である中国や「歴史認識原理主義国家」である韓国に比べれば、こうした「開放性」、「多様性」、「進取性」に裏付けられた我が国の持つ社会的な優位性は、何ら揺るがないのではなかろうか。
 雪斎は、我が国は中韓両国との歴史認識紛争を「国際的な共同研究」の題材に提供することを考慮すべきだろうと思っている。「国際共同研究」といえば、「日韓共同研究」や「日中共同研究」が従来も行われてきたけれども、雪斎が念頭に置いているのは、ハーヴァードやケンブリッジのような大学に資金を提供して、日本と中韓両国の軋轢から超然とした立場で研究してもらうことである。
 ところで、韓国紙『中央日報』(27日付、日本語電子版)は、『想像の共同体』の著者として有名なべネディクト・アンダーソンのインタビュー記事を配信している。これは誠に興味深い記事である。

--韓国は、独島(トクト、日本名:竹島)問題があるので憤慨して当然だ。
「独島問題よりも韓国は南北統一がもっと重要ではないのか。韓国人は、独島への関心と同じくらい、統一について具体的な計画を持っているのか?北朝鮮の韓国への再侵略を考えているのか?歴史教科書や独島問題は南北統一よりも小さい問題でないか」。
--韓国国民にとって、植民地にされた経験は極めて重要なのだ。
「日本は、帝国主義期の加害行為について、韓中に謝罪したほうがいい。そして、韓国も中国も別のことを謝罪すべきだ。中国は、大凶作と文化革命で中国人を大量に殺したことを謝罪すべきだ。韓国は、ベトナム戦争で犯したことについて謝罪したことがあるのか?人を殺したという点で、その主体が政府だろうが他国の軍隊だろうが同じだ」。

 アンダーソンは、韓国の「生煮えのナショナリズム」に冷ややかな眼差しを向けている。雪斎は、こうしたアンダーソンの発言が韓国国内に本当に紹介されたのかは判らない。日本人ならば、アンダーソンのような碩学の発言には、それに同意するかしないかは別として相応の敬意を払うものであるけれども、同じような敬意が韓国でも払われたのであろうか。もし、韓国の人々がアンダーソンの発言を相変わらず「妄言」と呼ぶようならば、韓国のアカデミズムは欧米系のアカデミズムからも相手にされなくなるのであろう。中韓両国が「生煮えのナショナリズム」に耽る限りは、、彼らの「自滅」の機会は増える。韓国が「生煮えのナショナリズム」の愚昧を自省しなければ、我が国は、その「自滅」を冷厳とした態度で見守っていればいいのである。雪斎は、「いい人」などではないのかもしれれない。

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Comments

あえて釣られてみます。本業が進んでいないときなので、的外れでしょう。一瞬ですが、素面の上に顔をだします。

まず、戦略というものは、率直に口にすると損をすることが多い。他方で言いにくいことをいってくださる方は貴重で共感する人を増やすでしょう。

中韓の歴史認識は日本人にとって受け入れがたいでしょうが、大戦の敗戦国であるのは事実です。大きな戦争の敗戦国の再軍備は非常にデリケートな問題であることが多い。しかるに降伏した最大の相手国が再軍備を望んでいる。この点で日本の戦後は驚くほど恵まれていると思います。常任理事国入りは「名」」で集団的自衛権の行使は「実」。両方とも実現すれば、名実ともに敗戦国という脆弱な立場から脱することができるでしょう。

冷静に見てアジア最大の不安定要因は中台海峡でしょう。これをアメリカを中心に安定化させるためには、日本がまだクリアしなければならないことはまだまだ多い。日本はよき敗者であったかというと、完全ではないけれども、概ねそうであったと思います。しかし、安心できる状況にいたるにはまだ努力が必要だと思います。

ハイゼンベルグの『部分と全体』のなかでボーアが述べたとしている一節を引用いたします。

「イギリスではうまく負かされることが最高の美徳に属しているのです。プロシアの場合には負けることは恥であります。彼らの場合には、まず第一に敗者にたいして寛大であるような勝者を尊びます。そのことははなはだ結構なことです。しかしイギリスでは勝者にたいして毅然とした敗者、つまり敗北を認め、いかなる不平ももたないような敗者を尊びます。このことはおそらく勝者が寛大であることよりも、もっとむずかしいことでしょう。この姿勢で耐え抜いた敗者は、そのことによってすでにほとんど勝者の位置まで立ち上がっているのです。彼は他のものと同様自由なままです」(山崎和夫訳、92頁)。

このような考え方は、いささか理想主義に偏っているかもしれません。しかし、戦後の日本が辛酸を味わいながら復活してきた過程を思うと、中韓の狭量さを嘲笑することよりも、実質的に現状維持勢力となっている立場をいっそう強固にすることにもっと力と知恵を注いでいただきたいと思います。凡庸な意見で恐縮ですが、わが国にとって損得を考えれば、他国を嘲笑するよりも、もっとエネルギーを注ぐべきことが山ほどあると思います。

Posted by: Hache | April 29, 2005 at 02:41 AM

中国や韓国を内心で嘲笑している人は、マスコミ関係者や学生運動世代のほうが多いと思います。中国や韓国にまともに対峙せず、国家レベルでは、赤ん坊を相手にするように甘やかし、個人レベルでは、キーセンや買春旅行の対象としか見ていないようです。若い世代のほうが、ようやく国家としての恐怖を中国や韓国に感じ、相手をまともな独立国として付き合って行こうとしています。

よく、中国の反日デモは、仮面を被った反政府運動だと言われますが、日本のネットで、中韓を嘲笑する言動があるのは、それは、仮面を被ったマスコミや学生運動世代批判だと自覚したほうがいいと思います。

Posted by: 高田雄二 | April 29, 2005 at 09:53 PM

・hache殿
 「これだけ国際的な威信が落ちてしまいましたが、北朝鮮の0問題にきちんとした尽力が頂ければ、貴国の威信も回復するでしょう」。
次は、日本政府が、このように中国に言ってくれることを期待します。

・高田殿
はじめまして。
対中、対韓認識における「世代の差」というのは、重大な論点だと思います。

Posted by: 雪斎 | May 03, 2005 at 12:45 AM

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