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April 27, 2005

二国関係の「呪縛」・続

■ 四月も、残すところ数少なくなったけれども、この一ヵ月は、実に楽しかった。対中関係、対観関係などを題材にして色々なことを考えることができた。「だから、国際政治系の政治学徒は、三日やったら、辞められない」。雪斎は、本当にそのように思う。


インドネシアでの小泉総理の演説には、賛否両論様々な意見が示されている。サイバースペースの中での論調は、この玄倉川殿のエントリーが詳細にまとめている。いやはや、敬服する。
 このエントリーでは、雪斎は、「小泉演説」肯定派の筆頭に置かれている。本来、外交や政治の世界では、「内野安打」を連ねて、ようやく一点という形でしか得点を上げられないものである。それが雪斎の以前からの持論であるけれども、雪斎は、今回の総理の「バンドン記念演説」は、最低でも二塁打、三塁打にはなるだろうと思っている。 現在の国際政治の世界では、「ソフト・パワー」の意義が強調される傾向が進み、他国の人々の「共感」をどれだけ獲得できるかが、それぞれの国々の「国力」や「影響力」を増進させる重要な条件になる。小泉演説は、植民地主義の論理に一旦は走った「旧宗主国」が旧殖民地の国々に「反省とお詫び」の意を表明したという点では、稀有な事例であろう。これは、アジア・アフリカ諸国にとっては、誠に歓迎すべきものであったろう。小泉演説は、中韓両国を除く大方のアジア・アフリカ諸国に対しては、「日本は、資金援助してくれるだけではなく、植民地主義の誤りも認めてくれる国である」という印象を植え付けるのには大きく与ったといえるであろう。それは、アジア・アフリカ諸国の「共感」を一挙に獲得するものになったのは、間違いない。
 喩えるならば、賞味期限の切れて酸っぱくなったキムチを胡麻油で炒めてから、キムチ鍋の元種にすると誠に美味になるのと同じ理屈で、小泉総理のバンドン会議記念演説は、「村山談話」という「「使い古しの手札」を上手く料理したものであった。かんべえ殿のコメントのように、今年の対アジア外交において「村山談話」を「手札」として使うのは、規定方針であったかもしれないけれども、それを「バンドン会議記念会合」という舞台で使えたのは、誠に幸運なことであったといわざるを得ない。『孫子』「始計篇」にも、「計(けい)、利としてもって聴かるれば、すなわちこれが勢(せい)をなして、もってその外(そと)を佐(たす)く。勢(0せい)とは利によりて権(けん)を制(せい)するなり」という記述があり、「これ兵家の勢(せい)、先(さき)には伝うべからざるなり」という記述がある。本来は、中韓両国を相手にしていたはずのものであった「村山談話」は、「バンドン会議記念会合」という機に乗ずることによって、アジア・アフリカ諸国の大勢の「共感」を得る仕掛けになった。
 無論、それでも、「小泉総理が謝罪した」ということに耐え難い想いを抱く人々は、確かにいるのであろう。しかし、そうした意見の多くは、「あの中国に頭を下げたのが、けしからん」といったレヴェルの話でしかない。小泉演説には、特定の国々だけを相手に謝罪したという文言はないのであるけれども、そうした反応が出ること自体、対中感情の悪化を物語っているのであろう。
 下掲の原稿は、『世界日報』紙から依頼されて執筆したものである。雪斎は、人間の一生は、「甘み」と「苦み」との斑模様に彩られているのだと思っている。そして、人間の集合体である「国家」の歴史もまた、そうした「甘み」と「苦み」が織り成す時間の集積である。雪斎は、我が国の刻んだ近代史における「甘み」と「苦み」の双方を知ればこそ、その百三十年余りの歳月を愛しく思う。

■ 「苦み」と「甘み」を背負った歴史

 ホセ・オルテガ・イ・ガゼットは、「人間は、総ての財を背に負う放浪者のように、あらゆる経験を背負っていくのである」と書いた。
 現在、日本のテレビ・ドラマや映画の脇を固める五十歳代くらいの俳優の多くは、若き日にポルノ系映画に出演していた経歴を持っている。たとえば、石橋蓮司、田山涼成、小林稔侍、大杉漣、阿藤海、風間杜夫、内藤剛志といった当代の名バイ・プレーヤーの名前が、一九七〇年代半ばから八〇年代半ば頃までに制作されたポルノ系映画の出演者リストの中にある。往時、若手の監督や俳優にとっては、資金調達などの点で「成人映画」が主な活躍の舞台であったのである。
 このような俳優の人々に対して、「子供には見せられない映画」に出演していた若き日々の意味を問い掛ければ、彼らは、どのように答えるのであろうか。筆者が彼らの立場ならば、若干の気恥ずかしさと苦みとともに若き日々を振り返るであろうけれども、若き日々の「経験」が自らの「今」に連なっていることを隠さないであろう。オルテガが指摘したように、誰にとっても、過去の「経験」は、消すことの出来ないものであり、背負うしかないものなのである。
 明治以降の我が国の歩みの意味を考えることは、このような俳優にとっての「若き日々」の意味を考えることに相通じているところがある。現在、我が国が中韓両国との「歴史認識紛争」を生じさせているのは、往時の我が国が帝国主義の論理に加担した結果、朝鮮半島や中国大陸に相次いで進出したからである。我が国の帝国主義の論理の加担は、たとえば西郷隆盛や勝海舟のような人物ならば容認しなかったかもしれない。西郷や勝にとっては、帝国主義の論理は、「野蛮の沙汰」に他ならなかった。我が国は、そうした「野蛮の沙汰」に手を染めることによって自らの歩みを進めたのである。福澤諭吉の『脱亜論』が「野蛮の沙汰」に乗ずる文脈で把握されるのには、致し方ない事情がある。
 しかし、その一方で、往時の我が国は、植民地獲得という「野蛮の沙汰」から超然した場合には、自らの独立を確保することが出来たのであろうか。十九世紀半ばの帝国主義の時期、アジアで殖民地化を免れた数少ない事例が日本とタイであったのは、周知の事実である。タイの独立の維持は、一般には英仏両国の「緩衝国」であった事情から説明されるけれども、実際には相当な犠牲を支払った上での帰結であった。当時、東南アジアでは、ビルマとマレーシアがイギリスに、ヴェトナムがフランスにそれぞれ占領されていた。チュラーロンコーン王(ラーマ五世)は、確かに様々な国内改革を通じてタイの近代化を断行したけれども、イギリスにマレー半島の一部、フランスにはラオスとカンボジアを割譲することによって、タイ国家の独立を護持した。それは、往時の日本に置き換えて考えれば、北海道をロシアに、九州を英国に、そして四国をフランスにそれぞれ割譲した上で、本州だけで独立を護ったようなものである。明治期の政治指導層には、そのような選択を考慮できたのであろうか。
 明治以降の我が国の歩みを否定的に把握する意見は、特に近隣諸国に及ぼした被害を強調する余りに、独立の維持に腐心した往時の日本人の努力には冷淡な眼差ししか向けていない。それは、生硬な道徳論を振りかざしながら、ポルノ系映画に出演していた俳優の過去を詰問するが如き振る舞いである。その一方、我が国の歩みを肯定的に把握する意見は、特に日清・日露の両戦役を経て「一等国」としての立場を得た軌跡を「成功」と表現するかもしれないけれども、その「成功」それ自体が「苦み」を伴ったものであった事情には眼を背けたがる。伊藤博文は、日露戦争を「邏卒番兵の役」と呼ぶシニカルな感覚を持っていたわけであるけれども、そうした感覚の意味は、たんなる「明治成功物語」の観点からは、まともに伝わらないであろう。
 結局、「後から振り返ってみれば何とでも言える」のである。歴史を語る折には、その時代々々に生きた人々の格闘に対する共感を忘れ去るわけにはいかないのである。
  

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Comments

抑制が効いた、深いところで力強さをもった、よい文章を拝読させていただきました。
深謝

Posted by: 小規模投資家 | April 27, 2005 at 11:43 AM

 大変読み応えのある、勉強になる文章だと思います。
 小泉首相のスピーチの反対派の方々は、失礼ながらひたすら「謝罪」と「面子」に拘る韓国人や中国人たちと重なって見えてしまいます。
 スピーチを行なった場所は、多くの国々の首脳が集う国際的な外交の舞台であり、「広範な支持を得ること」が外交戦略の一つの目的であるとすれば、今回の小泉首相のスピーチは評価できるところがあると思うのですが、反対派の方々は、対中・対韓の二国間関係だけで「謝罪した=0点」としてしまっているところが残念です。

Posted by: 藤田 | April 27, 2005 at 11:51 AM

数日前に、高坂正尭氏の論文集に言及したんですけど、歴史認識と戦争責任について深く考察した著書で再読して感心した本に、山崎正和氏の「歴史の真実と政治の正義」があります.山崎氏が言っていることは、現代ほど歴史が政治的正義の道具として使われている時代はなかった「と.近代国民国家が生まれたことにより、本来君主や歴史家個人の領域であった歴史が、国家が国民を統合するための聖なる根拠になってしまったというんですね.山崎氏は政治的正義は歴史ではなく法によって実現されるべきであり、日本の過去の戦争責任も東京裁判を含む戦後国際秩序の受諾という観点から理解すべきとの論旨でした.この論旨に立つと、私は、日本は戦後の国際秩序(日米同盟)を受け入れ、その維持発展に大いに寄与したことで戦争責任をはたしていると思うんです.今回のバンドンでの小泉総理の発言も、その文脈で捉えるべきで、これは戦後の日本外交の、反省というより再評価でしょう.ただ一方で、歴史を正義実現の手段として考える人々も(左右を問わず)あとを絶ちません.そう言う人には、歴史は自分たちの正義の為に都合のいいところだけ選べるような矮小な存在じゃあありませんよと言いたいんです.それこそ、甘味と苦味を併せ呑む覚悟がないと論じて欲しくないんですね.勿論、日本だけでなく、韓国や中国の人達にも.

Posted by: M.N.生 | April 27, 2005 at 02:04 PM

M. N. 生さんがお書きの点、特に前半部分は大変興味深い議論ですね。
歴史家がご自身の所為について歴史「学」を標榜される限り、見過ごすことができない問題なのでしょう。当該領域において、実証に基づく緻密な論証を等閑に付した言説の流布は、学問としての正当性そのものの根幹を揺るがすことになるわけですから。
大変だなあ。

Posted by: 小規模投資家 | April 27, 2005 at 05:45 PM

「所為」は、あんまりですね。
他意はございません。書き損じですので(汗)。

Posted by: 小規模投資家 | April 27, 2005 at 06:00 PM

はじめまして。いつも楽しみにしてます。

>イギリスにマレー半島の一部、フランスにはラオスとカンボジアを割譲することによって、タイ国家の独立を護持した。

タイ側の主観としてはそうでしょうが、これらの地域へのバンコクの宗主権はかなり限定的なものでした。譬えて言うとロシアがポーランドのEU加盟を渋々承認した程度です。カンボジア・ラオスはベトナムの宗主権も認めてましたし。

一方でラタナコーシン朝は北タイや東北タイを主権国家シャムの領土に組み込みました。こちらを重視すれば、トンチャイ・ウィニチャクーンの様に、タイは周辺国を併合したことによって独立を維持し得た、と主張することも、一面では可能です。

Posted by: 中山 | April 28, 2005 at 03:46 AM

雪斎さん はじめまして。
「曇りのち晴れ」の管理人です。
玄倉川さんのブログからたどりつきました。

バンドン声明批判派の方は原理原則にとらわれすぎているような気がします。そういったことも大事なのは私も納得しますが、それよりも人々に対する印象や感動の方が、未来を志向するときには大事だと思います。
政治を行うのは人間ですし、未来を築き上げていくのも人間です。
過去の歴史認識が未来を作り上げていくというなら現代に生きる我々の存在などどうでも良いということになりますし。

まとまらない駄文失礼しました。

Posted by: まったり | April 28, 2005 at 08:16 PM

何と言うか、いいエントリですね。

私も小泉首相の今回の対応は高く評価する立場です。
我々が思っている以上に日本の民族主義的方向への回帰は世界的に見て懸念が多いということがあります。それを戦後政治の連続性を尊重するというメッセージを村山談話を引くという形を取って表現することで、事情通でない世界の多くの人々にも分かりやすく示したという点が評価できます。言語の壁等の条件を考えれば基本的に日本の外交は効率性を追及しなければいけないのですが、そういう古典的な拘束条件にも意を払ったかもしれません。これは小泉政権は前から割とよくやっていますが。

M. N. 生さんのご意見も重要なことを示唆していると思います。東京裁判にしても、政治的に必要とされる何らかの現実解の一つとしてどうだったかという点が重要と思います。大声で言う人が少ないのかどうか知りませんが、私は米国と旧海軍勢力の談合みたいなものだと思っていますけどね。道徳的にどうかはさておくとして、では代替案は何があったのでしょう。

先日、日本のもっとも輝かしい時代はいつか、というのが2chの掲示板で話題になっていた事があり、「頼むから今だなんて言わないでね。私は日露戦争の頃だと思う」などと言う人がいました。本人が目の前なら殴り倒したかもしれません。一番誇らしいのは疑いなく現在の日本、それ以上に未来の日本だという点に疑問はないでしょう。

Posted by: カワセミ | April 29, 2005 at 12:53 AM

・小規模投資家殿
ありがとうございます。
司馬遼太郎も、「坂の上の雲」では、八甲田山雪中行軍遭難事件という「明治の愚行」をまともに取り上げなかったわけですから、歴史の見方は色々とある考えるのが当然でしょう。

・藤田殿
はじめまして。
「敵に張り合おうとする余りに、敵と同じ振る舞いに及んではならない」という警句があるのですが、小泉演説に批判的な人々は、それをやっていますね。

・M.N生殿
山崎正和先生は、どんな領域でも傾聴すべき意見を示して下さる稀有な方です。

・中山殿
 はじめまして。
 こういう御教示は本当に有難く存じます。

・まったり殿
 はじめまして。
 貴サイトにも参上させて頂きました。

・かわせみ殿
 「その国の文化の爛熟期は戦乱の百年後に来る」という岡崎久彦大使の見立てに従えば、「日本の最も輝かしき時代」は、2045年頃に来ることになるはずです。どうやら、今の現役世代は、「ヴィンテージ・ワイン」の豊かさの中で生涯を閉じることになるのでしょう。いい話だと思います。無論、それまでに「活力
」を落とさないように頑張らなければなりませんが…。


Posted by: 雪斎 | April 30, 2005 at 05:58 PM

雪斎殿>
>司馬遼太郎も、「坂の上の雲」では、八甲田山雪中行軍遭難事件という「明治の愚行」をまともに取り上げなかったわけですから、
一応(笑)司馬ファンなので一言擁護論を。戦時中に青春を送った人として「ひどい時代だった」と憤慨する思いがあるので、ついつい明治を美化する傾向にあります。ただ、それは彼が生きてきた時代がそうさせる側面があって、それを我々「戦争を知らない子供たち」があれこれ言うのは、あまりフェアでは無い気がします。
明治の陰の面にも目を向けて、より立体的な明治像を作るのは、これの歴史家の仕事ですね。

Posted by: やすゆき | May 01, 2005 at 04:58 PM

・やすゆき殿
拙者もご多分の例に漏れず「司馬」ファンです。戦国モノよりも幕末・明治モノが好きですね。司馬の世界は「プロジェクトⅩ」の世界だと思います。

Posted by: 雪斎 | May 03, 2005 at 12:35 AM

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