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March 17, 2005

「ホリえもんはアウト、三木谷はイン」続編

■ 『溜池通信』「不規則発言」中、かんべえ殿が示した「ホリえもんはアウト、三木谷はイン、孫はボーダーライン、となる。既存の産業の中でも、義明はアウトで清二はインであったりする」という記述に触発された日本社会の「イン」と「アウト」に関する考察は、なかなか興味深い。ところで、「既存の産業の中でも、義明はアウトで清二はインであったりする」のは、何故であろうか。一般的には、義明氏のほうが羽振りがよかったという印象が、強いであろう。しかし、実際には、義明氏は、たとえ『フォーチュン』誌が「世界の富豪」の一に数えようとも、この国の「イン」ではなかった。それは、義明氏が「獄窓の人」になったという事情からではなく、元々、「イン」たりえない雰囲気を持っていたということである。

 清二・義明両氏の父親、堤康次郎氏は、「ピストル堤」と称された「一代の梟雄」であった。「一代の梟雄」と目された人物は、たとえカネや権力を手にしたとしても、それだけでは「イン」たりえないから、自分の息子や娘たちには世間で褒められる「イン」の道筋を歩ませることによって、「イン」の立場を得ようとする。
 たとえば、米国史上、ジョン、ロバート、エドワードのケネディ三兄弟の父親、ジョセフ・ケネディは、禁酒法時代に酒密造で財を成し、ボストン市長の娘を妻に迎え、後には駐英大使に任ぜられるといったように、「アメリカン・ドリーム」を体現する人物であったけれども、米国社会の「イン」として扱われることはなかった。アイルランド系という出自に加え、禁酒法時代以来のマフィアとの付き合いといった「黒い噂」は、ジョセフ・ケネディに「胡散臭さ」を付きまとわせていたのである。そうであるが故に、ジョセフは、自分の息子たちに米国社会の「イン」たる本道を歩ませることによって、薄汚さの染み付いた自分の経歴の「灰汁抜き」をやろうとしたのである。特に後に大統領になる次男、ジョンは、「チョート・ローズマリー・ホール」という寄宿学校からプリンストン、ハーヴァードといったアイヴィー・リーグ大学への道を歩んだ。それは、完全な「東部エスタブリッシュメント」としての道筋であった。
 堤義明氏が「アウト」であり堤清二氏が「イン」であることの差は、父である堤康次郎氏の「灰汁抜き」を出来たか出来なかったかとうことの差であった。「灰汁抜き」を出来たのが清二氏であったし、出来なかったのが義明氏であったということである。若き日の清二氏は、東京大学に進学し、文学活動ヤ学生運動に身を投じたのだそうである。そうした清二氏の振る舞いは、康次郎氏にとっては「不肖の息子」を実感させるものであったかもしれないけれども、清二氏にとっては、父親の事跡を相対化し、それに染み付いた「灰汁」を抜く機会にはなったろう。堤康次郎氏は、おそらくは、そうした清二氏の振る舞いを疎んじたが故にこそ、自らの基幹事業を義明氏に委ねたのであろう。康次郎氏にしてみれば、「文弱の徒に事業を守れるのか」という想いがあったであろう。義明氏は、そうした父親の期待に応えたのかもしれないけれども、それは父親が持っていた「灰汁」をも引き継ぐことを意味したのである。つまり、義明氏は、康次郎氏から「イン」たり得ない要素をも引き継いだのである。
 因みに、雪斎は、一度だけ作家としての辻井喬〈堤清二〉氏にお目にかかったことがある。雪斎は、義明氏には余り積極的に付き合いたいという気が起きないけれども、辻井氏にはお付き合い願いたいという気にはなった。辻井氏は、柔和な紳士だった。経営者としての堤清二氏は、決して成功したといえないであろうけれども、作家としての辻井氏は、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞といった文学賞を軒並み受賞している。辻井氏が現在、手にしている唯一の公的な肩書きは、「セゾン文化財団理事長」である。「富」は、芸術や学術といった人間の高次の活動に供されてこそ、価値を持つ。「富」を守ることに汲々とせざるを得なかった堤義明氏に比べれば、辻井氏は、自らの周囲に「文化の薫り」を漂わせていた。清二氏が「イン」であることの意味とは、辻井氏が「富を越えるものへの志向」をきちんと示せたことにある。
 結局のところ、我が国では、平安の昔から政治、軍事、経済は、「俗事」なのである。人々が「殿上人」として「イン」の立場を得るためには、詩歌に象徴される学芸の才や経綸が要請された。そうした事情を、今一度、確認しておく必要があるだろう。


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Comments

こういうネタは、自分のサイトでは書きにくいので、こちらで書かせてもらいます。

堤家のライバル、「強盗」こと五島慶太も一代で成り上がった口でしたが、二代目の五島昇は日商会頭も務めました。財界活動に時間も割いたし、身銭も切ったので、この世界では優等生といえましょう。

実は「イン」になるのは、本人さえその気になれば難しいことではないのです。単に謙虚に振舞えばいいのですから。ただし、財界という虚構を共同で支えましょうというのは、オーナー経営者にとっては馬鹿らしく思えることが多いようです。

どうせなら「アウト」に徹して、それこそ映画になったハワード・ヒューズのように生きるというのも、男の道かもしれませんね。


Posted by: かんべえ | March 17, 2005 at 05:54 PM

ご趣旨の点は理解できますがことネット分野の企業に限りますと、オーソドックスな財務指標によって、その会社の企業価値を正当化することは、かなり難しい例が多いように思われます。ネット企業は、市場の期待をどのように自身に引き寄せるか、という点が最重要課題ではないかと愚考します。その延長線では、In-Outという議論をネット企業に対して適用することは、時期尚早ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

Posted by: 小規模投資家 | March 18, 2005 at 08:14 PM

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