« 日々の戯言050309 | Main | 『中央公論』「時評2005」原稿・#4 »

March 10, 2005

 「“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳」

■ 「“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳」という誠に面白い記事を見つけた。

記事の全文は、以下の通りである。

 音楽情報サイト「OngakuDB.com」を運営する飯原経営研究所は、「想い出の音楽に関するアンケート調査」の結果を発表した。これによると、「想い出の曲」がある人は全体の約6割。想い出の曲を聴いていたときの年齢は平均18.8歳だという。  調査対象は、OngakuDB.comのモニター会員で、有効回答数は1272人(男性38.7%、女性61.3%)。全体の6割にあたる688人が「想い出の曲がある」と答えた。性別では、男性の55%、女性の64%が何らかの「想い出の曲」があると回答している。  想い出の曲の数は「1曲」が51.2%で過半数を占めているが、複数ある人も多く、「4曲」も12.4%いた。4曲と答えた人を年齢別にみていくと、10代が7.8%に対して50歳以上の人が25%となり、年齢が上がるにつれて増えていく傾向がある。  想い出の曲を聴いていたときの年齢は「10代」が53.7%と最も多く、以下「20代」(37.7%)、「30代」(4.8%)と続く。さらに「誰と聴いていたか」を訊ねた設問では、「一人」が61.2%でダントツ。そのほかは「友人・知人」(16.9%)、「恋人」(15.1%)、「家族」(5.1%)などとなっている。  「聴いていた当時、置かれていた状況」は、「楽しかった」(30.6%)、「切なかった」(18.5%)、「幸せだった」(15.8%)、「辛かった」(10.4%)など。聴いていたときの年齢が若かった人ほど「楽しかった」が多く、年齢が高くなるほど「切なかった」「辛かった」が増えてくるという。  また、「何で聴いていたか」という設問では、「CD」が52.2%で、カセット(23.1%)、「ラジオ」(15.7%)、「テレビ」(14.8%)、「レコード」(13.7%)、「MD」(11.5%)、「その他」(8.6%)の順だった。年齢別にみると「CD」が最も多いのは「30代前半」まで。「カセット」は「30代後半から40代前半」が多く、「レコード」は「45歳以上」が中心だった。  なお、回答者全員に「音楽は人生や考え方を豊かにしてくれたか」を聞いたところ、62.6%が「かなり思う」、32.0%が「ややそう思う」と答えている。このうち「想い出の曲がある」人では76.9%が「かなり思う」と回答しており、「想い出の曲がある人は、ない人よりも“豊かな人生や考え方”に対する音楽の寄与を認めていることがわかった」(同社)という。

 当ブログを読んでいる方々は気付かれたと思うけれども、雪斎がよく聴く歌は、小椋佳、村下孝蔵、来生たかおといったラインのアーティストである。これらのアーティストの曲は、発表された時期に聴いたというよりも、その詞に共鳴する局面を自分の人生の中で度々、持った。
 たとえば小椋佳さんの『愛しき日々』が堀内孝雄さんの歌で流行ったのは、雪斎が二十代前半の頃であったけれども、曲の存在感が大きくなったのは、暫くの時間が経って自分にとっての「青春の終わり」を実感し始めた頃になってからである。。雪斎にとっては、十代後半から二十代後半までの「青春の日々」は、思うに任せないことばかりが多い「我が闘争」の日々であった。今、その時代に戻りたいかと問われれば、雪斎は「否」と答えるしかない。しかし、そのような「思うに任せないことばかりが多い日々」もまた、後から振り返れば、「愛しき日々」であった。確かに、「愛しき日々の はかなさは 消え残る夢 青春の影」なのであった。
 村下孝蔵さんの『初恋』jにしても、これが心の琴線に触れるように感じるようになるのは、結婚して子供ができてという年齢になってからであろう(…であろう、というのは、雪斎が独身なので、確定的なことはいえないというだけの話)。

五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は
恋をして 寂しくて 届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は
振り子細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕は何時でも君を捜してた
浅い夢だから 胸を離れない

 村下孝蔵さんは、もう既に鬼籍に入った。今、雪斎の部屋には、村下さんのCDジャケットの装丁を担当していた村上保さんの切り紙絵の五十部限定のものの一部が飾られている。
 ところで、NHK総合テレビ時折、午前三時台に『ミュージック・ボックス』という番組を放送している。ここで紹介される曲で雪斎にとって最も馴染みがあるのは、一九七〇年代後半から一九八〇年代前半のものに集中している。久保田早紀さんの『異邦人』が流行った頃、雪斎は中学生だったけれども、何故か必死になってアルベール・カミュの『異邦人』を読んでいた覚えがある。雪斎は、「エトランゼ」という言葉に惹かれるものを感じ、異国への憧れを膨らませていた。前にも書いたように、雪斎にとっては、十代後半から三十歳直前までの日々は、「我が闘争」の日々であった。「人生の重荷」を全く感じることのなかった最後の時期に出会った『異邦人』は、「想い出の一曲」に数えられるものであるかもしれない。

|

« 日々の戯言050309 | Main | 『中央公論』「時評2005」原稿・#4 »

「日々の戯言」カテゴリの記事

Comments

異邦人は懐かしいです。まだ小学生の頃でしょうか。なにかをえようと思うと、なにかを捨てなければならない。哀しみのなかに希望のある唄でした。

5、6歳頃からでしょうか、死というものばかり意識してきました。病弱だったせいでしょうか。自分の存在の確かさを信じられなくなったとき、選択肢はいくつもありますが、私は自然科学の世界に興味をもちました。本当のことがわかりそうでわからない。でも、真実は私が死んでも残る。そんなところに惹かれたのでしょう。

遺憾ながら、研究の世界でやってゆくには才能がなく、断念してしまいましたが、社会科学の分野でも三つ子の魂百まででしょうか。拠るべきものは自分以外しかないことを頭ではわかりつつも、私がなくなっても確実に残る真実を求めてやまない稚気はなくならず、頭の痛い限りです。

Posted by: Hache | March 10, 2005 at 09:45 PM

>Hache殿
学者・知識人の慰めは、「自分の書いたものを自分の死後も誰かが読んでくれるかもしれない」という期待です。これは、かなり大きなことだと思います。

Posted by: 雪斎 | March 11, 2005 at 06:13 AM

あれ、エントリ執筆を中断されるとおっしゃりながら毎日更新していらっしゃいますね(笑)。
今日、kenboy3さんと初めてお目にかかりました。
私も雪斎さんが挙げられているラインのアーチストは好きです。
『愛しき日々』は時代劇ドラマ『田原坂』を思い出します。その次の年のドラマ『五稜郭』の主題歌『夢の吹く頃』(さだまさし)もものすごく良い歌でした。いずれのドラマも歌と共に鮮明に記憶が蘇り、涙腺がゆるみます。
『初恋』は三田寛子も歌ってましたね。三田寛子さんは歌舞伎の公演で中村橋之介と来たので、ちょっとだけお目にかかる機会がありましたが、きれいでした。
村下孝蔵も名曲が沢山ありますが、ドラマつながりでいけば、『めぞん一刻』の主題歌だった『陽だまり』が良く印象に残っています。

Posted by: やじゅん | March 11, 2005 at 03:25 PM

>やじゅん殿
どうも。貴殿のコメントを見落としていました。
相すみません。
昔の日テレが年末に放送されていた幕末ドラマには、名作が多かったような記がします。
拙者には、『奇兵隊』の主題歌であった『冬の蝉』〈さだまさし〉も、印象に残っています。

Posted by: 雪斎 | March 15, 2005 at 09:31 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71618/3229273

Listed below are links to weblogs that reference  「“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳」:

« 日々の戯言050309 | Main | 『中央公論』「時評2005」原稿・#4 »