『論座』に寄せた原稿
■ これからの数日、雑誌『論座』に寄稿する原稿を仕上げる手前、当ブログへのエントリー執筆を中断する。10日頃に再開するけれども、中断前に「論壇」の意味について少し記しておくことにしよう。
■ 下掲の原稿は、『論座』4月号・特集「日本の言論」に掲載されているものである。この特集には、雪斎の他にも、佐々木毅、山崎正和、大嶽秀夫、中西寛の各先生など総勢四十三名の方々のの原稿が寄せられている。中でも雪斎にとって示唆深かったのは、大嶽秀夫先生の原稿であった。こういう原稿を読めるのは、雪斎には嬉しい。
ところで、「人権政策研究会」のウェブ・サイトに、江橋崇先生(憲法学者・法政大学教授)が雪斎について言及しているページを発見した。興味深いのは、江橋先生が「私には、○○(雪斎の本名)が仲間であるかのように思えるときもある」という記述を残していることである。江橋先生は、雪斎のことを「自称タカ派」と評しているけれども、雪斎は「タカ派」を自称することはなく、自称するなら「ミネルヴァのフクロウ派」だと思っているので、この江橋先生の評には承服し難いものを感じる。安全保障研究者として「9条改正は当然」と唱える雪斎は、生粋の憲法学者たる江橋先生の眼には「タカ派」と映るということであろうか。ただし、そうした大枠としての違いを諒解した上で、雪斎は、何故に江橋先生が雪斎を「仲間であるかのように思えるときもある」と感じたのかを知りたいと思う。「左」と「右」、「ハト」と「タカ」、「護憲派」と「改憲派」という表層的な壁を取り払えば、意外に思潮的には近い人々の場合も、あるのではなかろうか。そして、こうしたことを掬い上げる機会を適宜、提供するのが、論壇誌とよばれるものの役割である。論壇誌が「同人誌」になった瞬間、堕落は始まるのではないか。
■ 『論座』寄稿原稿 「強く辛辣な言辞」は質の低下を招く
論壇が輿論形成に対する影響力を喪失したと指摘されるようになってから、既に相当の時間が経過している。無論、現在の論壇においても、様々な社会事象を前にした各人各様の見解が示されてはいる。けれども、その多くが「言いっ放し」の類に終わるのは、何故なのか。
ヴィクトル・ユゴーは、「強く辛辣な言辞は論拠の弱さを示唆する」という言葉を残している。もし、言論家が「強く辛辣な言辞」を何の衒いもなく吐き、そのことを新聞や雑誌を初めとするメディアが許容するならば、言論の質は明らかに低下するであろう。しかしながら、実際の論壇の風景の中では、「強く辛辣な言辞」に依る言論が「辛口評論」とか「刺激的な論稿」といった評の下に黙認され、あるいは煽られたりさえしている事例が、決して珍しくない。そのような言論は、往々にして最初から自らの立論を緻密に提示するというスタイルではなく、何よりも他人の言説に噛み付くというスタイルに依って展開される。
そのような言論は、単純明快である故に、たとえば「溜飲が下がる」という感情とともに世の人々に迎えられるかもしれないけれども、その質の劣化は避けられない。というのも、そこで飛び交うのは、「論拠の弱い」言辞でしかないからである。このようにして、ウィリアム・シェイクスピア著『マクベス』劇中の台詞を借りれば、「わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない」とでも評される言論の傾向が、加速することになる。世に対する論壇の影響力が失墜するのも、当然のことなのである。
このような趨勢に歯止めを掛けるためにも、実質的な意味での「多事争論」の場が準備されなければなるまい。今までの論壇の風景とは、それぞれの言論家がそれぞれの政治上、思潮上の「蛸壺」の中に籠もったままで、互いに届かないところで「噛み付き」の言辞と「無視」の姿勢とを応酬するというものであった。しかし、今後は、何れのメディアにとっても、自らの基本的な論調には毛色を異にする言論家の論稿を載せるという努力は、大事なものになるであろう。因みに、従来、筆者は「保守論客」と目されてきたけれども、近年、自らの論稿を寄せたいと願った雑誌の最たるものは、『論座』と『世界』であった。言論家は、「強く辛辣な言辞」を排した上で自らの論稿を準備し、メディアは、そうした「論拠の弱さ」を免れた論稿を迎え入れる。論壇の「再生」とは、そうしたところから始まるのではなかろうか。
『論座』(2005年4月号)掲載
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Comments
「「強く辛辣な言辞」は質の低下を招く」
全くその通りだと思います。
思考に思考を重ねるほど、自分の主張に様々な要素が入り交じり、物事を単純に「切る」ことはできなくなるものです。多面的でバランスの取れた慎重な見方が、その複雑さや一見しての分かりにくさのために人々の耳目を集めず、一面的で単純な主張が、その刺激性のために大きく取り上げられるのが残念です。
ご執筆、頑張って下さい。
Posted by: やじゅん | March 06, 2005 07:56 AM
単純、過激の方がメディア映え(というかテレビ映え)するので、余計に大きく取り上げられる、って傾向はありますね。
また、見たいものしか見ない、という傾向があるのも事実かと。
ネットというツールは良くも悪くも、特定のものを選別してくれるので、かえって居心地のいい場所でワーワー叫んでいる傾向がありますし。
ライブドア対フジテレビのまとめエントリを作ったのも、「賛成派」「反対派」が蛸壺にこもっていて、お互いの交流がないのをなんとかしたい、と思ったのが原点だったな、と思い返す今日この頃です。
なんだか脱線していますが、執筆がんばってください。期待しています。
Posted by: とーます | March 06, 2005 10:40 PM
>小規模投資家殿
執筆中は、カネのことは考えていられませんよ。
「いい原稿」を書くことだけです。
仰るとおりです。多謝です。
>やじゅん殿
>とーます殿
ありがとうございます。自分にとって居心地の良い空間だけに身を委ねるのは、堕落だと思います。
Posted by: 雪斎 | March 07, 2005 02:53 AM
強く辛辣な言辞は、他者への批判に向けるのではなく、信念を持ちながらも「本当にこれで正しいのだろうか?」と疑う自己検証に向けられるべきなのかとおもいます。
「自分にとって居心地のよい空間だけに身を委ねるのは堕落」とおっしゃる雪斎さまの誠実さをひしひしと感じます。まさに「至誠の人、真の勇者」!ご執筆、頑張ってください☆
Posted by: さくら | March 07, 2005 12:17 PM
>さくら殿
また、そちらに参上します。
Posted by: 雪斎 | March 10, 2005 01:54 AM