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March 24, 2005

『漢書』が示す日本の安全保障・各論一

■ 一昨日、TBS系列で『青春の門』最新版が放映されていた。主人公の伊吹信介を演じたのは十七歳の新人俳優のようであるけれども、「よく頑張った」演技をしていたと思う。
 昨日、韓国の盧武鉉大統領は、青瓦台のホームページに対日政策について国民向けの談話を寄せた。この談話中、盧大統領は、島根県議会の「竹島の日」条例制定と歴史教科書検定問題とに言及し、「侵略の歴史を正当化する行為」と批判した。韓国政府は、一旦は封印したはずの「歴史カード」を持ち出して、日本の「頭」を抑え付けに掛かっているようである。しかし、こうした韓国政府の対応は、雪斎には「あほらしい」の一言で片付ける他ない代物でである。

 ただし、我が国の明治以降の歩みの意味は、きちんと合意を形成して置く必要があろうと思う。司馬遼太郎は、『坂の上の雲』で近代日本の「青春の光輝」の物語を描いたのであるけれども、誰にとっても、青春が「光輝」だけの日々であるはずはないのである。当然のことながら、そこには、「残酷」も「陰影」もある。現在、韓国が「対日カード」として使おうとしているのは、そうした近代日本の「青春の残酷」の記憶である。
 韓/ 「おい、お前。昔、お前が俺の家に入り込んで、妹に夜這いを掛けたのを忘れてはいないだろうな。妹は泣いていたぞ…」。
 日/ 「だけど、あの時代は、夜這いを掛けないと村の中では一人前の男として認められなかったのだよな…。英太郎も仏次郎も独兵衛も露助も、皆、やっていたんだぜ。もっとも、今は、誰も、やらんけどな…」。
 韓/ 「いや、許せん。反省しろ。謝罪しろ…」。
 日/ 「いい加減にして欲しいよな。あんただって、夜這いをするほどの度胸があれば、やっていたのではないか・・。出来なかった恨みを俺に向けるなよな…」。
 ここでいう「夜這い」を「帝国主義の論理に基づく殖民地獲得」と読み替えれば、雪斎の意図が判るのではないか。日本にとって、「夜這いを掛けて一人前として認められた」事実も「韓家の妹を泣かせた」事実も、青春の一断章である。この片方だけを強調して日本の近代史を把握しようとするから、話が抜き差しならないものになってしまうのではなかろうか。

■  『漢書』が示す日本の安全保障・各論一/「貪兵」の末路

「人の土地、貨宝を利する者、之を貪兵と謂う。兵が貪る者は破れる」。この『漢書』「魏相丙吉傳」中の言葉は、人類という種族の「愚かさ」を鮮やかに説明している。しばしば、人間の歴史は「戦争の歴史」と称されるけれども、人間が「戦争」を繰り返してきた論理とは、「貪兵」に他ならない。そのことは、古代地中海世界の覇権を巡ってローマとカルタゴが激突したポエニ戦争の発端が、当時、随一の穀倉地帯であったシチリアの領有を巡る争いであった事実に触れれば、明らかであろう。人間は、二千年近くもの間、行く行くは自らの「破」を呼び込む振る舞いを延々と続けてきたのである。
 幕末・明治期、我が国が国際政治の渦の中に巻き込まれた折、そこで支配的であったのは、「貪兵」の論理であった。西欧列強諸国は、帝国主義という最も露骨な「貪兵」の論理に基づいて、アジアやアフリカにおいて、植民地獲得という「人の土地、貨宝を利する」挙を続けていたのである。幕末期に「西洋の衝撃」を受けた人々にとっては、西洋諸国の「貪兵」の論理は、抗すべきものであった。そのことは、『西郷南洲遺訓』に残されている西郷隆盛の次の言葉に触れてみれば明らかであろう。「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説喩して開明に導く可きに、左は無くして未開矇眛の国に対する程むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮じゃ」。
 我が国の近代以降の歩みが痛々しさを免れないのは、「貪兵」の論理それ自体は、先々の「破」に結び付くものとして否定されるべきものであったにもかかわらず、我が国が自らの独立を守るために行ったのは、その「貪兵」の論理に乗ずることに他ならなかったということである。福澤諭吉の『脱亜論』は、その最も鮮烈な表明であったし、日清、日露の二度の戦役の勝利とは、この「貪兵」の論理の上での成功を意味していたのである。昭和初期、「小日本主義」という言葉で総称される一連の論稿を発表した石橋湛山の先見性は、そのような「貪兵」の論理の無理を真正面から指摘したことにある。ただし、石橋の議論は、「貪兵」の論理で歩んだ歳月の中で幾多の国民の犠牲が支払われ、満州や朝鮮半島といった殖民地が、そのような犠牲の代償であるという「感情」が残る限りは、広く世に受け容れられるものとはならなかった。「満州は父祖の血で贖った日本の生命線」という感情は、満州権益の持つ重みが然程のものではないという半ば怜悧な説明によっては、改められるものではなかった。結局のところ、我が国が「貪兵」の論理から抜け出すには、第二次世界大戦の敗北という自らの「破」を契機とする他はなかったのである。
 従来、近代以降に我が国が刻んだ足跡の意味に関して、様々な所見が示されてきた。筆者は、「貪兵」の論理での我が国の歩みは、「そうせざるを得なかったが、それ自体が手放しで賞賛できるものでもなかった」と評されるべきものであったと思っている。
 ところで、現在、我が国を取り巻く周辺情勢の中の不安定要因として指摘されるのは、中国や北朝鮮の動向である。中朝両国の対外姿勢には、既に国際常識では容認されなくなった「貪兵」の様相が色濃く反映されるようになっているのである。北朝鮮による邦人拉致事案は、拉致被害者家族にとっては「宝」である一群の人々を利そうとしたという意味において、「貪兵」の振る舞いに他ならない。また、南沙諸島領有を巡って周辺諸国と摩擦を起こし、東シナ海海洋権益を巡って我が国との軋轢が浮上している中国の姿勢が「貪兵」の色彩の濃いものであるのは、誰の眼にも明らかであろう。
 我が国が自らの安全保障を確保する上で留意しなければならないのは、どのように、このような古色蒼然とした中朝両国の「貪兵」の論理に相対するかということである。「冷戦の終結」以後、テロリズムの跳梁や大量破壊兵器の拡散といった新種の「脅威」の登場が専ら指摘されるけれども、このような在来種の「脅威」に対応しなければならない事情は、依然として消えてはいない。我が国が中朝両国に相対する際に大事なことは、「貪兵」の論理の果てに六十年前の「破」を招いた自らの来歴を踏まえ、中朝両国が耽る「貪兵」の論理の愚を諭すことなのであろう。
    『月刊自由民主』(二〇〇五年四月号)掲載

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「『月刊自由民主』「論壇」欄」カテゴリの記事

Comments

 「兵が貪る者は破る」というのは非常に説得力のある言葉だと思います。東アジアの今後は19世紀後半以降の欧州と似ているというのも的確だと思います。

 ただ、日韓関係に関する喩えには私は違和感を覚えます。適切な比喩ではないかもしれませんが、イギリスがベルギーやオランダを併合したら、ヨーロッパにおけるバランサーとしての名望を失ったでしょう。日韓併合そのものは否定しがたい事実である以上、この地域におけるわが国の立場は、けっして単独では強くないと思います。なにか罪悪感をもてとかそういう話ではなく、周辺に共感を呼ぶ心理的・道義的基礎がまだないと感じます。イギリスですら、アイルランドをもてあましていたのは既にご指摘の通りです。

 朝鮮半島が大陸とともにわが国と敵対すると、危険な状態になります。日米同盟が第一ですが、地理的に見て半島を敵に回すのは得策ではないでしょう。竹島問題は、いますぐ解決しなければならない問題ではないし、言ってみれば小さな嵐でしょう。嵐のなかを突き進む度胸もときと場合によっては必要でしょうが、やはり嵐は避けるのが基本だと思います。向こうが歴史認識問題をもちだしてきたときに、わざわざこれを政治問題化するような反論を行うこと自体、愚策だと思います。もちろん、国内で議論すること自体は別の次元の問題ですが。

Posted by: Hache | March 24, 2005 at 11:56 PM

>Hache 殿
 余り議論されていないのですけれども、「統一された朝鮮半島」と「分断されたままの朝鮮半島」のどちらが、日本の国益に沿うのでしょうか。こういう議論は、やってみると結構、大変かもしれませんね。

Posted by: 雪斎 | March 26, 2005 at 03:13 AM

>>雪斎先生

現状でも統一されても実はあまり変わらないと考えております。日米同盟と中国の間で半島が揺れ、日本がいらだつという意味でですが。ただし、統一の時期・プロセスや統一後の半島の政治体制などはまったく読めないので非常に難しいと思います。ただ、現在の韓国のように民主主義+市場経済という社会体制になる確率が高いと思います。この場合、半島のナショナリズムは日本人からは理解が難しいぐらい強くなると思います。

 私が懸念しているのは、北朝鮮が保有していると推測されている核あるいは核開発能力が統一後の半島に引き継がれることです。この可能性を排除するには日本単独ではほとんど非力でアメリカが第一で中国やロシアを巻き込む形にならないとまず難しいと思います。その意味では6カ国協議の難しさと統一のプロセスの困難さは程度の差こそあれ、あまり変わらないと思います。

当たり前すぎるので書くのが憚られますが、韓国は民主主義国家です。したがって、日本でも右から左まで多様な意見もあるように、韓国人も多様です。親日的な韓国人は、感情と利害の面から日本に親近感をもっています。一時期は、中国になびく傾向もありましたが、実際に中国に行ってみると、政治体制の違いや飲み込まれるという恐怖感をもって親日に戻る人もいます。ノムヒョン政権には失望感をもっている韓国人も少なくないので日本人が思っている以上に韓国との連携の余地はあると考えます。竹島問題や歴史認識問題で過剰反応するのは、敢えて下品な表現を用いますが、バカをつけあがらせるだけです。

統一後の半島は中国・ロシアと国境を接し、海峡の向こうにアメリカと強固な同盟にある日本と対峙することになります。韓国人はブレます。統一後の半島はもっとブレるでしょう。そのとき、半島が海をバックに独立を保つ選択肢を重視するよう、ドアを開け入りやすくするとともに、アメリカとの同盟を強化し、半島の選択肢を慎重に狭めてゆくのがよいと思います。半島との付き合いは、大技をかけるのではなく、辛抱強く小骨を一つ一つ取り除く作業だと思います。楽観的すぎるかもしれませんが、うっかり小骨が喉に刺さってもなんとかなるんじゃないかと思います。ただ、保守的な韓国人は同時に左翼的な韓国人よりもはるかに愛国的です。けっして怒らせてはいけません。まあ、これは日本人と大差はないのですが。

雪斎先生のご指摘の趣旨から外れてしまいました。素人なので的外れな点が多々あると思います。お時間がありましたら、御指導をいただければと思います。

Posted by: Hache | March 26, 2005 at 07:34 AM

>Hache様
素人目にも統一に伴うコストを忘れた
議論のように映るのですが、どのように
お考えですか?

Posted by: おおみや%NEET | March 28, 2005 at 06:42 PM

>hache殿
>おおみや殿
 昔日、アンドレ・マルローと並んで、シャルル・ド・ゴールのシンパと呼ばれた知識人に、レイモン・アロンがいます。アロンは、統一ドイツの登場に一貫して反対し続けたわけです。この件の話は、あらためてエントリーでかきますけれども、統一朝鮮の扱いは、これからも考えておく必要があると思います。

Posted by: 雪斎 | March 28, 2005 at 09:04 PM

>>おおみや様
ご指摘の通りです。分裂した半島と統一された半島のどちらが日本にとって得かという問題なので、「統一のコスト」は無視しております。統一のプロセスや時期、統一後の半島の政治・経済体制などが現状では読みきれないことが理由です。

>>雪斎先生
うだうだ書いて申し訳ありません。分裂と統一のどちらが日本の国益に沿うかというのは難しいのでどちらが扱いやすいかという問題に変えてみました。今でも十分、難しいのですが、統一後はさらに難しくなると考えております。またの機会にご教示ください。

Posted by: Hache | March 29, 2005 at 12:41 AM

>Hache殿
この件、暫時、お待ち下さい。

Posted by: 雪斎 | March 30, 2005 at 01:30 AM

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