愛知和男氏の所見
■ 愛知和男氏は、雪斎にとっては、「父親以上の存在」である。理屈だけの大学院生が「深慮」を旨とする知識人に変われたのも、愛知氏の下での日々があればこそである。
下に紹介するのは、その愛知氏が配信しているメール・マガジン最新号の全文である。。「フジ・ライブドア戦争」に関しては、現在の政界や政界OBの人々の意見は、特に自民党関係者であっても決して「ホリエモン批判」一色に染まっているわけではない。この愛知氏の議論も、そうであるけれども、昨日夕刻のTBSのニュースも、「宮澤喜一元総理が堀江社長にエールを送った」と報じている。昨年、ライブドアのプロ野球界参入騒動が、球界の閉塞状況に風穴を開けたのであれば、此度のホリエモンさんの挑戦は、メディアの世界にも「黒船」としての役割を果たすかもしれない。メディアの現状を決して肯んじていない人々は、ホリエモンさんに対して、旧弊打破の動きの契機をもたらした「ペリー提督」のような役割を期待しているのであろう。
ただし、雪斎は、愛知氏が指摘するようなメディアの抱える問題点には同意したとしても、ホリエモンさんのフジサンケイグループへの提携打診の仕方は、ビジネスのスタイルとしては余りにも拙劣であったと思っている。「ホリエサンもな、フジテレビに出入りしていたのだから、『会長や社長にご挨拶をさせて頂きたい』と言って日枝会長や村上社長を表敬訪問していたり、日枝さんや村上さんと一度くらいゴルフでもやってから提携を持ちかければ、話は違っていたはずだ…」。過日、このように雪斎がフジサンケイグループ関係者に話してみたら、その人物は雪斎に異を唱えなかった。人間の世界では、既存の「ルール」を破る人物は「革命児」「改革者」と目されることがあるけれども、「マナー」を顧みない人物は、たんなる「無作法者」としか扱われない。ホリエモンさんを「革命児・改革者」と見るのか、それとも「無作法者」と見るのか。「フジ・ライブドア戦争」への評価は、そうした視方が大きく関わっているといえよう。雪斎は、「無作法者」には、改革も革命も成就できないと考えている。
■ ライブドアの堀江社長に声援を送りたい
堀江氏とフジテレビとの争いがますます激しさを増していて、先行きどうなるのか見透しがつかない状況になっている。
この争いの真相にはわからない点が多いが、直感的にいって、私は堀江氏に声援を送りたい気持ちを強く持つものである。
かねてから私はマスコミ界に対していろいろな角度から批判をしてきているが、そのひとつにマスコミ同士の資本の提携がある。種類の違うマスメデイア、即ち、新聞とテレビとかテレビとラジオとか、或いは新聞と週刊誌とかが資本で結ばれていると、お互いが批判し合うという健全な状況ができず、馴れ合いが生じてしまってマスコミの驕りにつながるという論点である。このような事態は先進国のマスコミ界ではほとんど見られない現象であり、日本のマスコミの抱えるいろいろな問題点の根源にある点であるといっていいと思う。
話が少々飛ぶが、日本のジャーナリストで国際社会で高い評価を得ている人物はほとんどゼロである。この状態は、経済界、学会、芸術界、或いは政界などと比べてみても極端である。この事実の根源にはマスコミ界に蔓延している馴れ合い体質があると思う。ジャーナリストが厳しい試練に晒されていないので、高い評価に値するジャーナリストが育たないのである。私は日本の民主主義社会が成熟していくためにも日本のマスコミ界の役割は極めて大きいと思うが故に、何とか一刻も早く現状を脱してほしいと願ってマスコミ批判を繰り返してきているのである。政治家としてはリスクの大きいことではあるが。
ところで今回の堀江氏とフジテレビとの争いであるが、堀江氏の真意がどこにあるのか不明な点も多いし、やり方も少々強引だったり、さらに後ろに外国資本の姿がちらついたりと問題点は多くあるとは思うが、一方、フジテレビの慌てぶりは笑止の限りであると感じられてならない。マスコミ界の常套セリフである「言論の自由」をふりかざしての強引な防衛策は全く世論の支持を得られるものではないと思う。そもそも経営者を選ぶのは株主であるはずが、経営者の方が株主側を支配しようとする行為であって、資本主義の根幹に抵触する話ともいえるのである。
私は今回のケースがただ堀江氏とフジテレビとのいわばプライベートの争いに終ることなく、この機会にマスコミ界全体が反省すると同時に、マスコミ界における資本提携のあり方を見直し、場合によっては健全なマスコミ界にするための立法処置、つまりマスコミ同士の資本提携に一定の制限を設けるという法律の制定なども検討に値すると思っている。
『愛知和男のオピニオンレター』(237号、2005年2月25日)
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Comments
雪斎さん、しつこくコメントを残すことをお許し下さい。
愛知議員のホームページにまいりまして、「平成憲法【愛知私案】・第四次改訂」をDL致しました。
そこで、
第一条【天皇の地位】
①天皇は、日本国の元首である。
の記述にまず行き当たりました。フクロウ派の小生としては、日本国が現在まで元首の定義をしてこなかったことに関して、元首をハッキリと明示することに異論はありません。しかしながら、「天皇は、日本国の元首である」という記述、これは「ハト派」や「革新系」には飲みがたい文面であるのではないかと考えます。
元首を持たない国家も多々あります。元首が慣習上の者である場合もあります。しかし、元首が政治の実権を持つ場合も持たない場合もあるという曖昧性を持つ者である以上、愛知議員が記述している「第六条【国事行為の内容】天皇は、次に定める国事に関する行為を行う」まで読み進まずに、政治の実権を持つ場合の元首を想起するおっちょこちょいもいるかと思います。
前文で天皇=象徴、「第七条【天皇の準国事行為】 前条に規定する国事行為の他、天皇が、元首として対外的に日本国を代表し、日本国の伝統、文化、国民統合を象徴するために必要な一切の行為は、国事行為に準ずるものとする」で念押しをされていますが、象徴が政治行為を行わない保証はない、などと言い出す輩もいるのでは、と懸念致します。
小生も憲法に興味があるものです。愛知議員の憲法私案はじっくり読んでみます。
Posted by: FRANK LLOYD | November 01, 2006 05:24 PM