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February 26, 2005

『漢書』が示す日本の安全保障・総論

■ 雪斎は、 『漢書』「魏相丙吉傳」の記述を基にして二度、論稿を発表している。雪斎は、何度も同じネタに寄り掛かって原稿を書くのを好まないけれども、過去二度の論稿が「散発的」なものであったが故に、『漢書』の記述の示唆深さを充分に説明するに至らなかった。

 下の原稿は、今後、七ヵ月連続で執筆する予定の論稿「『漢書』が示す日本の安全保障」の「総論」である。「時評」という形で折々の事象に論評を寄せるのは、大事なことであるjけれども、こうした論稿を用意しておくのも、意義のあることだと思う。

 ■ 『漢書』が示す日本の安全保障・総論
                     
 「相、上書して曰く。『臣、之を聞く。乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂う。兵が義なる者は王たり。敵が己を加し已むを得ずして起つ者、之を応兵と謂う。兵が応ずる者は勝つ。小故を恨んで争い、憤怒して忍ばざる者、之を忿兵と謂う。兵が忿る者は敗れる。人の土地、貨宝を利する者、之を貪兵と謂う。兵が貪る者は破れる。国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵が驕する者は滅ぶ。此五者、但人事のみに非ず、乃ち天道なり』」。
 古代中国二十四史書の一つに数えられ、史書としては『史記』と双璧を成すと評される『漢書』「魏相丙吉傳」(巻七十四、第四十四)には、このような記述がある。筆者は、この記述に則って既に二、三の論稿を発表しているけれども、本欄においても更に詰めた議論を披露することにしたい。というのも、この古代中国の史書の記述は、少なくとも近代以降の我が国の安全保障政策の意味を考える上で、誠に多くの示唆を与えるからである。
『漢書』「魏相丙吉傳」が収めるのは、前漢の「中興の祖」と称えられる第七代宣帝に仕えた魏相と丙吉という二人の丞相の事績である。宣帝治世下、漢帝国に北方から脅威を与えていた匈奴の勢力が弱まった折、とある将軍は、この機に乗じた匈奴討伐を帝に進言する。前に触れた『漢書』の記述は、討伐実行へと心を動かした帝に対して、それを戒めた魏相の言葉である。
 この魏相の言葉が教えるのは、既に二千年近く前の古代中国において、「兵」、即ち軍事行動を行う際、避けるべき様態と許容される様態があるという考え方が示されていたという事実である。『漢書』においては、許容される軍事行動の様態とは、「乱を救い暴を誅する」義兵の場合と「敵が己を加し已むを得ずして起つ」応兵の場合の二つである。その一方で、避けるべき軍事行動の様態とは、「小故を恨んで争い、憤怒して忍ばざる」場合と「人の土地、貨宝を利する」貪兵の場合、さらには「国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する」驕兵の場合の三つである。戦後の平和主義思潮が席巻した中では、この「義兵」、「応兵」、「忿兵」、「貧兵」、「驕兵」の五つの区別は行われずに、総てが一括りにして否定されてきた嫌いがあった。しかし、そのような一括りの「兵」の否定は、我が国の人々に対しては、却って国際社会の現実への感覚を鈍らせているところがある。そこでは、「許容されるべき『兵』もある」という至極、当然のことが忘れられる。事実、たとえば、国際連合憲章の上では、加盟国に許容されている武力行使の基準は、自衛権の行使の場合と軍事制裁発動の場合であるけれども、これは、「応兵」と「義兵」を指すものである。「国連中心主義」という従来の御題目が本物であるならば、この「義兵」と「応兵」の文脈で何が出来るかが、検討されていなければならなかったはずであるけれども、そうした検討が進展したのは、過去十数年のことである。
 現行憲法典改訂への動きが加速する中、その動きの焦点になっているのは、第九条の扱いである。筆者は、従来、我が国が「普通の国」に脱皮するのを促す意味から、第九条の改正は当然のことと考えてきた。ただし、留意すべきは、憲法典改訂を経た我が国が「普通の国」として自らの軍事部隊を運用する際にも、『漢書』の中で許容された「義兵」と「応兵」という二つの様態に則り続けることが大事だということである。筆者は、我が国の軍隊が「義兵」と「応兵」の枠組として働く限りは、我が国の国際社会での立場が、その軍事行動の結果として損ねられることはないであろうと考えている。護憲を標榜する人々も、このような軍事行動の様態の差に眼を背けてはなるまい。そうでなければ、世に露見されるのは、護憲派の議論の意味するものが軍事行動の五つの様態の差を顧慮しない思考停止に他ならなかったという事実であろう。我が国にとっては、「普通の国」に成った後に来るのは、自らの軍事行動の展開に際して、それが本当に「義」に則ったものであるかを逐一、検証していく歳月である。我が国の「普通の国」としての歳月が、今までに比べれば遼かに厳しいものであるのは、間違いないであろう。
『月刊自由民主』(二〇〇五年三月号)掲載

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Comments

読んでみての感想ですが「人間って意外と進歩していない」と思いました。
もしくは、2000年前にはある程度政治学が確立してしまったのかもしれませんが。

さて、明治維新以降の日本を見るに、日露戦争(第一次世界大戦は微妙)ぐらいまでは、戦争時にあたっては「義兵」(台湾出兵、義和団事件など)や、「応兵」(日清・日露戦争)での出兵スタイルだったと思います。

この辺については「国際法を守る」(今でいうところの国連決議を経て行動)ということが、根底にあったのかな、と思います。これにより大義名分を得て戦争できたのではないでしょうか。
3国干渉を耐えたのも、「忿兵」を避ける意味では非常に意味の大きいことでしょうし。

で、日露戦争の終わりかけに日比谷が焼き討ちにあったあたりから、国民の心情が「驕兵」の要素を含んできたのではないかと。

その後は・・・シベリア出兵や15年戦争の結末が物語っていますね。

このあたりの原因として、「漢籍」の素養が指導層から失われたのが原因ではないか、と私は思っています。
それは、維新以降に生まれた世代は、大体が西洋式の教育を受け、漢籍の素養を得る機会がなくなってきたことがあげられます。

で、戦後もこの傾向が続き、思想の骨格が損なわれたのかな、と愚考する次第です。
(私も人のことを言えた義理ではありませんが(苦笑)

Posted by: とーます | February 26, 2005 at 09:25 PM

>トーマス殿
このエントリーで「七編の原稿を用意する」と書いたのですが、その中身は、貴殿が示したように、近代以降の日本の歩みの中で、五つの「兵」のスタイルどれが消長したかということなのです。
漢籍の素養は、今の日本人には全然、備わっていませんね。拙者は、ある程度までは身に付けたほうがいいと思っています。

Posted by: 雪斎 | February 27, 2005 at 12:04 AM

 安全保障や外交の専門家の論稿を拝見すると、常識が肝心なんだなあと思いますが、常識もある程度まで学習しなければダメなんだなあと痛感いたしました。「此五者、但人事のみに非ず、乃ち天道なり」というのも、古代中国の文明の高さを表わしていて勉強になりました。

 「天道」を味方にするには人事をつくすよりほかない。それでも、天は気まぐれだったりします。現実はなるようにしかならない以上、冷静に現実を見極めて限られた選択肢の中からよりよい選択をするしかないのでしょう。

 以前、塩野七生さんが「敗者の混迷」という文章を書かれていましたが、私には戦後のこの国の歩み自体が衰退の過程に見えます。大戦争の敗戦国が再軍備をして国家を維持してゆくのは決して容易ではありません。けっして戦後の指導層に戦略がなかったとは思いませんが、岸内閣の崩壊後、曖昧にする傾向が強まり、80年代には同盟の意味すら理解していないリーダーが出てきてしまっては非常にまずいと思いました。他方で、曖昧さが敗戦にともなう痛みを和らげた側面があるのも否定はできませんが。

 憲法改正は、敗戦国の地位から名誉を回復する一里塚だと思います。問題は、改正後の行動だというご指摘に同感です。あるいは改正のプロセスには時間がかかるかもしれませんから、その間の行動も大切だと思います。敗戦国でありながら、この国は現状維持勢力になっています。「アジアの中の日本」という視点で見るならば、多種多様な体制が存在し、相互理解も容易でない状況の中で紛争を抑止し、やむをえざる場合にのみ、刀を抜くというのが望ましいと思います。江戸時代と同じく、武家は決して刀を抜いてはならない。常に有事への備えは必要であるものの、刀を抜かずに済ませる手を打つことがなにより肝要だと思います。 

Posted by: Hache | February 27, 2005 at 02:10 AM

>hache殿
 昔、国際政治学者の高坂正堯先生が「国際政治学というのは『高級な常識』だ」と語ったことがあります。政治学というのは、考えてみればアリストテレスの昔から、今とそう変わらないことっことをやっている。人間という存在それ自体が全然、変わっていないのですから、政治という「人間の業」を扱う政治学が質的には何ら変わらないのも、当然でしょうな。

Posted by: 雪斎 | February 27, 2005 at 12:40 PM

理系人間ですので、いままで「漢籍」には全く縁のない生活を
送ってきました。さてこの年になってどのように素養を
高めていったらよいものなのかと、思案中なのであります。

Posted by: おおみや@Atlanta | February 27, 2005 at 01:11 PM

>雪斎さま
ネタバレをやってしまったようで、申し訳ないです(^^;
続きを楽しみにしています。

・・・戦後日本は「無兵」だったのではないか、と思う今日この頃です。「軍隊」という暴力装置がないことが前提で外交などなどが語られていた気がします。


話が変わりますが、漢籍に親しんでみる、ということで岩波から出てる史記列伝(史記から列伝部分のみ抜き出したもの)を買ってきて読んでいます。
 生齧りしてさっそくエントリを書いてみました(底が浅いこと浅いこと)。

Posted by: とーます | February 28, 2005 at 11:04 PM

>おおみや殿
別に難しく考える必要はないと思います。
先ず『史記』辺りからお読みになれば、よろしいのだと思います。
>トーマス殿
そちらに参上します。

Posted by: 雪斎 | March 01, 2005 at 01:53 PM

>雪斎様
 お返事ありがとうございます。それでは、帰国次第取り掛かることにします。

Posted by: おおみや@Atlanta | March 02, 2005 at 12:27 PM

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