渋沢青淵の教え
■ 雪斎は、政治学徒であるけれども、大学院修了後の一時期、「会社専務取締役」の肩書を持っていたことがある。しかしながら、雪斎は、その年の秋、細川護煕連立内閣が登場したときに、「血が沸き立つ想い」を抑えられず、永田町に飛び込んだ。その当時の雪斎の相棒(現在の雪斎の経済・財政問題指南)は、「お前には、永田町が一番、似合っているよな…」と送り出してくれた。だから、雪斎は、純然たるアカデミズムの徒ではない。雪斎は、「政治の現場」と「ヴェンチャー・ビジネスの雰囲気」を体験するという道草食いの日々を送った人物である。
雪斎は、ライブドアの堀江貴文氏、即ちホリエモンさんには、悪意を持ってはいない。というのも、「ビジネスの世界で成功したい」という願望は、たとえ一瞬であったとしても、雪斎も抱いていたからである。ただし、ホリエモンさんに関して残念に思うのは、彼がたとえば渋沢青淵(栄一)の著した『論語と算盤』のような書を真面目に読んでいたようには見えないということである。
たとえば、『論語と算盤』書中にある次のような記述は、ホリエモンさんにとっては、どのように響くであろうか。
「口舌は実に禍いの起る門でもあるが、また福祉の生ずる門でもある、ゆえに福祉のくる為には多弁敢て悪いとは言われぬが、禍いの起る所に向かっては言語を慎まなければならぬ、片言隻語といえども、決してこれを妄りにせず、禍福の分かるる所を考えてするということは、何人に取っても忘れてはならぬ心得であろうと思う」。
ホリエモンさんは、日曜日の朝もメディアに露出し続けている。しかし、そのメディア露出も、ライブドアという会社それ自体の声望には何ら結び付いていない。一体、彼は何のためにメディア露出を続けるのであろうか。彼にはライブドアという本業以外での発言が多すぎるのである。
渋沢青淵翁は、「日本資本主義の父」と称される。青淵翁が明治期に創立を手掛けた会社は、実に五百数十社に及ぶとされている。戦前まではあった華族制度の下では、三井、住友、三菱・岩崎などの財閥家の当主が最下位の男爵しか与えられなかった一方で、青淵翁だけは子爵に列せられている。もし、今、ホリエモンさんの「挑戦」に快哉を叫び、自分も起業家になりたいと願う若い人々がいたら、雪斎は迷わず次のように語り掛けるであろう。「青淵翁の青春期を描いた城山三郎氏の小説『雄気堂々』と青淵翁の『論語と算盤』を読み給え。そこには色々な教訓が満ちている…」。雪斎にとっては、若き日の青淵翁と最後の将軍・徳川慶喜公との関係は、多くを教えるものであった、古人の教訓は重いのである。
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