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January 08, 2005

「執事」の話

■ 雪斎は、かなりのイギリス映画フリークである。中でも「人生」を感じさせてくれたのが、『日の名残り』(監督 ジェームズ・アイヴォリー、出演 アンソニー・ホプキンス、 エマ・トンプソン)であった。執事という「職務」に忠実である余りに、眼の前の「恋愛」を手にできなかった男の軌跡は、切ないことこの上ない。雪斎は、この映画を見るとき、小椋佳の『愛しき日々』の一節「きまじめすぎた まっすぐな愛 不器用者と 笑いますか もう少し 時が たお「」やかに過ぎたなら…」をも思い浮かべる。マルチェロ・マストロヤンニの『黒い瞳』とは別種の「男の切なさ」」の世界がl、そこにある。その一方、雪斎は、執事の「職務」における「品格」に強く心を惹かれた。雪斎は、男の種別としては、ホプキンス演じる執事に思い入れがある。
 因みに、この執事が戦後に仕える米国人富豪を演じていたのが、昨年に逝去した「スーパーマン」こと、クリストファー・リーブであった。劇中のリーブは、「力はあるが、がさつ」」という米国そのものを表したような演技をしていた。この映画それ自体は、「人間関係の機微」を扱ったものであるが故に、この米国人富豪の「がさつさ」は、かなり目立った。この映画を監督したジェームズ・アイヴォリーは、米国人であるけれども、英国階級社会を扱った作品を多く手掛けている。米国人富豪の描き方は、アイヴォリーの皮肉であったのであろうか。

■ ところで、六年前、雪斎は下掲のような論稿を発表したことがある。日米関係を「貴族と「執事」の関係に見立て、日本は「執事」が有するような「政治手腕」や「調整能力」を身に付けよというのが、この論稿の趣旨であった。その後、「9・11」事件、イラク戦争を経て、米国に対する印象も、だいぶ揺れ動いた。小泉純一郎総理の対イラク開戦支持声明は、対米「追随」との批判を浴びた。下掲の論稿を発表し、「9・11」事件直後には対米連帯を訴え、イラク戦争に際しては対米支持を説いた雪斎の立場の論客は、「親米保守」と位置付けられ、「反米」論客からは罵倒に近い声が浴びせられた。しかし、雪斎のスタンスは、実際には六年前から何ら変わっていない。対米関係を考える上で大事なことは、米国が耳を貸すような言葉を、どのように発していくかということである。そのような言葉は、「反米」論客の中から出て来るはずはない。信を置いていない人物の言葉に真面目に耳を貸すなどといったことは、普通は、なかなかできない相談であるからである。


  「執事国家」・日本の可能性

 今期通常国会の焦点は、日米防衛新「ガイドライン」関連法案の審議である。現在、この法案審議を巡っては、昨年夏以来の北朝鮮情勢の緊迫化との関連で様々な議論が進められている。けれども、この法案は、本来は、冷戦終結後の国際環境の下、我が国が米国の同盟国として当然に行うべきことを不充分ながらも当然に行えるようにすることを目指したものであった。従って、今後、どのように北朝鮮情勢が推移しようとも、この法案自体は着実に成立させるべきものである。それは、たとえ当面の危機が回避されたとしても、棚上げにされて済むような政策課題ではないのである。
 私は、一昨年八月二十五日付の本欄において、日米新「ガイドライン」策定の問い掛けるのが、「唯一の超大国」としての米国に対して、どのように同盟国としての我が国が向き合うかということの構想や論理に他ならないと指摘した。折しも、この数年の経済失速が、「第二の敗戦」、あるいは「マネー敗戦」という言辞ともに昭和二十年の「敗戦」の比喩で語られ、そのことに付随した「反米」、「嫌米」の気運が間違いなく拡がっているのであれば、われわれに大事なのは、覇権国家としての米国に対する自らの位置を規定する模索を続けることである。そして、従来のように、敗戦と占領の記憶に呪縛され、「属国意識」とでも呼ベるような卑屈さを表面に出したり、「反米」、「嫌米」の気運に浸ったりするが如き振る舞いは、そのような模索には何ら益するところはあるまい。
 それでは、米国に対する我が国の自己規定の有り様とは、どのようなものであろうか。私は、率直にいえば、国際社会において、米国という覇権国家の「執事」の役目に徹することにこそ、我が国の今後を見たいと考えている。作家の塩野七生氏の説明によれば、ヨーロッパ世界における「執事」には、ただ単に「貴人に側近として仕え家政を仕切る」役割ではなく、「考え方の異なる人々の集合体の中で、調整を行い、その集合体を機能させる」役割があったとのことである。現在、われわれは、「執事」といえば英国上流社会の「執事」を思い浮かべるのが常であるけれども、そのことは、昔日の英国が様々な民族、宗教、文化を背景とする人々から成った「植民帝国」であったという事情と無縁ではない。
 無論、「執事」とは、我が国では、馴染みがある種類の人々ではないかもしれない。しかし、武家における「家老」ということならば、我が国の多くの人々には、得心しやすいのではなかろうか。山本周五郎の傑作『樅ノ木は残った』に描かれているように、御家騒動に端を発した藩取り潰しの危機から仙台藩を救ったのは、仙台藩家老・原田甲斐である。原田甲斐にせよ、「忠臣蔵」の赤穂藩家老・大石内蔵助にせよ、我が国においては、一つの組織や集団の中で最も鋭敏な政治感覚や卓越した政治手腕が要請されてきたのは、「家老」、「番頭」である。古来、我が国には、「馬鹿殿様」はいたとしても、「馬鹿家老」はいないのである。われわれは、そのことを改めて想起すべきではなかろうか。
 われわれは、米国に対しては、誇り高き「執事」、「家老」として振る舞うべきである。様々な民族、宗教、文化を背景とする国々の中で、洋の東西、あるいは先進産業諸国と発展途上諸国との間の関係を調整するという有り様は、我が国の国柄からしても、決して理に叶っていないとはいえない。「調整型」のリーダーシップとは、近年の我が国では余り評判の芳しいものではないけれども、我が国が国際社会で振る舞う際の流儀としては、誠に自然なものなのではなかろうか。そして、特に米国が様々な国際問題に際して一方的な対応に走りがちな国柄を持つ国であるだけに、われわれが、適正に「執事」、「家老」として振る舞えれば、その立場は殊の外、重いものになるであろうし、時には米国の対応に異を唱えたとしても、その異論は実を伴ったものとして受け止められるようになるであろう。
 「日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東の要石であり続けなければならないのは、こうした理由によるのだ。要といっても、受動的ではなく能動的に発言する要石であり-しばしば英知を秘めた相談相手となり、われわれが導きを時には指導性さえ求めて対すベき要石であり続けなければならないのだ」
 二十数年前、米国で「最後の賢人」と称される歴史学者、ジョージ・F・ケナンは、このように書いたことがある。米国の極東戦略にとって日本が「要石」であるというのは、既に常識に属する事柄であろう。しかしながら、われわれが留意すべきは、ケナンが期待した「要石」としての日本とは、米国に対しては、「能動的に発言し」、「英知を秘めた相談相手となり」、「導きと指導性を提示し得る」存在に他ならなかったということである。これは、間違いなく、「執事」、「家老」としての存在ではないであろうか。従来、我が国は、このケナンの期待に応えたとはいえない。そして、私は、我が国の国際社会における立場の浮沈は、このケナンの期待に本当に応えようとする意志を持ち、実際にそのように振る舞えるかということに掛かっていると考えている。われわれは、今後、どのような教訓や示唆を米国に示し得るであろうか。総ては、われわれ自身の問題である。
         『産経新聞』「正論」欄(一九九九年二月八日付)掲載
 

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Comments

日米以外の第三国との関係において、執事は執事のままである(第三国=来客)のに対し、家老はそうではない(第三国=格下役人ないし町人)というイメージです。

そういう意味で、私の中では執事国家と家老国家とでは随分違う存在なのですが、果たしてどちらを志向すべきなのでしょうか?

Posted by: 成程 | January 08, 2005 at 11:46 PM

>成程殿
こんばんは。
米国の「一極支配」の体制が今後、暫く続くとするならば、米国が他国の事情などお構いなしという振る舞いに走らないように、日本としては、心を砕かなければなりません。「執事」「家老」という言葉は、人々に依って色々なイメージがあると思いますが、雪斎のイメージに近いのは、「秀吉」に対する「秀長」、「信玄」に対する「信繁」の役回りでしょうか。「立場」というよりも
「役回り」として、お話しているのです。

Posted by: 雪斎 | January 09, 2005 at 01:10 AM

ご返答ありがとうございました。

「米国が他国の事情などお構いなしという振る舞いに走らないように、日本としては、心を砕かなければなりません」までは大賛成です。そのあり方として対第三国ではどう振舞うことになるのかを考えてみたかったのですが、勉強不足ゆえ「秀吉」に対する「秀長」、「信玄」に対する「信繁」の役回りを想起できない(というか現代の国際社会に置換できない)ので(恥)、今回はこの辺で退散させていただきます。

また、勉強に(刺激に)なる記事を待っています。今後も楽しませてください。

Posted by: 成程 | January 09, 2005 at 05:31 PM

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