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January 06, 2005

海へ・・・。そして、チェーホフ

■ 雪斎は、以前、「新『南洋』戦略論」と題された論稿を発表したことがある。この論稿の趣旨は、昔日、「南洋」と呼ばれた太平洋島嶼諸国との提携を軸とした「海の外交」の展開を提唱するものであった。この論稿は、雪斎が初めて真正面から対外戦略を論じ、しかも相当の評価を得た「成功作」であったが故に、忘れ難いものとなっている。今、雪斎は、インド洋大津波災害を機に、「海の外交」論を読み返してみる、この論稿には、下のような一節がある。
 

加えて、このような安全保障上の「南洋」関与の前提として、我が国は、現行憲法典を改正し、海外に派遣し得る「海軍」を再建させた上で、「南洋」海域の巡視や哨戒を目的として、ヘリコプターや垂直離着陸機、あるいは水上輸送機を搭載した航空母艦の保有に踏み切るべきであろう。今後、我が国が保持すべき海軍とは、評論家にして麗澤大学教授である松本健一氏の言葉にある「テリトリー・ゲーム」の手段ではない。「テリトリー・ゲーム」の時代ならば、海軍とは、排他的な勢力圏を確保するための手段として使われるものであったかもしれないけれども、今後の海軍の役割は、海賊への対処、自由航行路の保全、海洋汚染の防止といったように、国際的な海事警察機能の一翼を担うことへと比重を移すであろう。その点でも、「テリトリー・ゲーム」の時代の海軍の有り様に思考を呪縛されることは、弊害が多いのである。

 雪斎は、この空母保有の提案をだいぶ、びくびくしながら書いた記憶がある。しかし、今ならば、空母保有には、合理性が認められるのではなかろうか。日本は、此度の災害救援に九百人の自衛隊部隊を派遣するのだそうである。しかし、救援活動の実を挙げるためには、災害地に提供する物資だけではく、自衛隊部隊が消費する物資を万全に用意する必要があろうし、活動の恒常的な拠点も確保しておく必要がある。こういう用途には、空母はなかなか相応しい装備なのではないか。この際、米国海軍の退役空母を導入しても、いいのではないかと思う。

■ 雪斎は、三十歳代の最後の日々を過ごしているので、ここで誕生日ネタを一つ。雪斎の誕生日、1月29日には、史上、どのような人々が誕生しているのであろうか。「有名人誕生日データベース」というサイトで調べても判るとおり、その中には、アントン・チェーホフの名前が出てくる。
 イタリア映画『黒い瞳』 (監督/ニキータ・ミハルコフ,、出演/マルチェロ・マストロヤンニ)は、チェーホフの『犬を連れた貴婦人』や他の作品に着想を得たものである。この映画のの「ツボ」は、何といってもマストロヤンニの演技だろう。特に映画の最終部で、ロシアに残した恋人の存在を妻に問われて、恋人への想いを断ち切るように「ない」と否定したときのマストロヤンニの背中の演技は、凄いものだと思った。物語前半のマストロヤンニの役柄が、「身勝手」「優柔不断」「情けない」を絵に描いたようなものであったために、この「背中が泣いている」演技は、強烈に印象に残っている。これを初めて観たとき、雪斎は学生であったけれども、「如何ともし難い人生のほろ苦さ」を教えてもらったと思っている。劇中のマストロヤンニは、貧乏学生から銀行家の娘と結婚して「逆・玉の輿」を実現させた男であったけれども、人生における「幸福」とは、そうしたことばかりにあるわけではないのであろう。
 因みに、ジョージ・F・ケナンが来日し、案内役を務めた故・高坂正堯教授と懇談したときに、話題にしたのは、チェーホフの文学世界であったそうである。日米両国の現実主義者が談じ合った「チェーホフ」とは、どのようなものであったのであろうか。雪斎は、その辺りのことが気になって仕方がない。


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