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January 29, 2005

「四十にして惑わず」とはいうが…

■ 雪斎は、今日、齢四十を迎えた。生まれてから、この方、色々と「制約」の多い道程を歩んできた。それでも、何とか生きてきた。偶々、浦雅春著『チェーホフ』(岩波新書)を読む。チェーホフは、雪斎に先立つこと百五年前の同じ日に生まれた。年譜を見ると、四十歳で『三人姉妹』を執筆、四十一歳で結婚、四十二歳で『桜の園』を執筆、四十四歳で死去とある。チェーホフは、齢四十前後の数年間に、後世に残る文学作品を創り上げた。雪斎は、後世に何を残せるのであろうかと考えてみる。これを考えると、古賢が語ったように、「四十にして惑わず」とは行かない。ただし、方向性は見えている。因みに、雪斎から九十九年前の同じ日に生まれたロマン・ロランにとっては、かの大河小説『ジャン・クリストフ』の執筆は、三十八歳から四十六歳までの仕事であった。雪斎もまた、再び「怒涛の勢い」を思い出して、事に当たりたいものである。

■ 辛気臭くなってきたので、ここで「占い」ネタを一つ披露する。
   「あなたがつぶやく最期の言葉」
   http://marylou.m78.com/lastword/
  雪斎の結果は、『あなたに会えてよかった』 だそうで、シチュエーションは、「晩秋の夕暮れの中、人生のパートナーの手を握りしめながら、.推定年令78歳で往生」だそうである。雪斎は、どうやら、まともな「死に方」が出来そうである。推定年齢78歳で往生というのは、希望より少し短いという気がしないでもないが…。

■ 誰にでも、「人生を支えた歌」は、あるのだろう。雪斎は、様々な意味で「小椋佳の世界」のファンである。たとえば、次の二つは雪斎の魂の中に深く入り込んでいる。

このたびの命 思い為す宿命
好まずと言えど 戦いの嵐
荒れ止まず 挑みの心 また湧き止まず

誰のようにも 生きられず
誰のようにと 生きもせず

梢の高み 孤高の鷹が
心ならずの 爪を磨く
.
  ―小椋佳 「孤高の鷹」


男の中の 蒼くさい
狂おしい夢が 激しく駆け抜けて
はるかな轍 描き込んでいる

こうとしか生きようのない人生がある
せめて 消えない 轍を残そうか

  ―小椋佳 「遥かな轍」

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Comments

 遅まきながら、雪斎先生、御誕生日おめでとうございます。コメントを書き出すと、本業に差支えが出そうなぐらいはまってしまうので、しばらく控えております。とくに「知の銀行」構想は、共感いたしました。

 私も占ってみたのですが、推定108歳で餅を喉に詰まらせて「うぉっほっほ」という言葉を残して往生するそうです。あと3倍も生きれらるんでしょうか。

 雪斎先生のblogを拝見しながら、感心することばかりです。本業を片付けたら、落ち着いてコメントさせていただきます。

Posted by: Hache | January 30, 2005 at 02:14 AM

〉Hache殿
有り難うございます。
推定年齢108歳の大往生とは凄いですね。
いわゆる知識人は「定年」はありませんから、
どれだけ持続力を持って物事を考えるかが
大事だと思います。

Posted by: 雪斎 | January 30, 2005 at 02:58 AM

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