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January 22, 2005

大統領の言葉

■ 米国の歴代大統領による就任演説を読むのは、実に面白い。日本で最も有名なのは、、「諸君のために祖国が何をしてくれるかを問うのではなく、諸君こそ祖国のために何ができるかを問い給え」という一節で知られるジョン・F・ケネディの就任演説であろう。この演説は、印象深いフレーズの連続であるけれども、若き日の雪斎が最も気に入っていたのは、次の一節である。
 In the long history of the world, only a few generations have been granted the role of defending freedom in its hour of maximum danger. I do not shrink from this responsibility—I welcome it.
 いやはや。「他ならぬ我らの世代こそが自由を守る役割を負った数少ない世代だ」という認識は、これを若い世代が聞いたらエキサイトするものなのではないかと思われる。この「理想主義」的な言辞の魅力には、なかなか抗いがたいものがある。たとえばNHK大河ドラマ『獅子の時代』のテーマ辺りをBGMにして流しながら、この一節を思い浮かべると、それだけで高揚した気分になってきたものである。「現実主義者」を任ずる雪斎にも、これは否定できない。
 ところで、ジョージ・W・ブッシュの就任演説について、若干の所見。下を参照することにしよう。
  〇 ホワイト・ハウスのサイトに公開された「就任演説全文(英文)」
  〇 『毎日新聞』が報じた「就任演説要旨(日本語)」
 此度の演説では、既に色々なところで指摘されているけれども、次の一節は外すことは出来ない。
 We are led, by events and common sense, to one conclusion: The survival of liberty in our land increasingly depends on the success of liberty in other lands. The best hope for peace in our world is the expansion of freedom in all the world.
 要するに、「他国が自由にならなければ、米国の自由は存続できない」という指摘なのだけれども、この認識は、かの「フロンティア学説」を唱えたフレデリック・J・ターナーの議論が、結局は正しかったのではないかと思わせるものである。「米国は、フロンティアを目指さないと、内からおかしくなる。だから、何時も到達すべきフロンティアを必要とし、発見しようとする」というのが「フロンティア学説」の意味である。この理屈でいけば、世界の「圧制国家」は、米国の「自由」が及ばない荒野であり、その荒野に向けて「フロンティア」を前進させることが、米国の存在意義を守るためにも大事だということになる。これは相変わらずの話である。ただし、こういう話を語るのは、今の米国知識層にとっては、「判っちゃるけど、やめられない」ことなのであろう。
 因みに、米国史上、自分の父親が大統領だったことがある「二世大統領」は、当代ジョージ・W・ブッシュと第六代ジョン・クインシー・アダムズである。アダムズが国務長官在任時に行った演説には、次のような一節がある。
 But she goes not abroad, in search of monsters to destroy. She is the well-wisher to the freedom and independence of all. She is the champion and vindicator only of her own. She will commend the general cause by the countenance of her voice, and the benignant sympathy of her example
 若き日のアダムズは、1770年代、独立戦争直後の時期の対ヨーロッパ外交に携わった。アダムズは、「アメリカが最も弱かった頃」の難しさを知っていた人物であったのである。「米国は退治すべき怪物を探しに外国に出て行くことはしない」という文言は、今のブッシュ政権の姿勢に照らし合わせると、誠に重いものがある。ブッシュ政権は、一期目に既にアフガニスタンとイラクで「怪物退治」をやったし、二期目は北朝鮮、イラン、ミャンマーといった「圧制国家」を「怪物」に設定している。アダムズならば、そのブッシュ政権の姿勢には、「頭を冷やして、自分の評判を気にしてみればいい…」とでも言うのではなかろうか。こういう「米国」もあったのである。

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Comments

うーん、考えさせられます.自由のフロンティア理論か.ターナーにはフロンティア理論の他にセクション理論もあって、歴史はいろんな地域のバランスで発展するという考えもありますよねえ.これで言えば、世界の各種の地域のバランスと自立を再構築しないといけないことになるんでしょうけど、現実はと言えばヨーロッパもイスラム世界も、なんだか被害者意識が先行して、結果的にアメリカの力の行使(と挫折も)を誘発しているように思えてしまうんです.バランスを回復する為には、最低限、自由の荒地自身から緑の芽が育たないとねえ.それを助けるのをアメリカだけに任しておくにはいかないんですけど、どう手だししたらいいのか.

Posted by: M.N生 | January 24, 2005 02:08 PM

〉M.N生殿
ターナーの「セクション理論」ですか。
ただし、これは、「フロンティア理論」に比べれば、全然、知られていませんね。
この点にこそ、米国における「フロンティア」の持つ意味を物語っていると思います。現在の「市場」に重きを置く米国人の経済感覚もまた、「フロンティアの西漸」の時期に培われたもののようです。結局、米国は、「前へ…」の国なのですな。アメリカン・フットボールも、一ヤード前に行くか止めるかのスポーツですしね。

Posted by: 雪斎 | January 24, 2005 11:29 PM

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