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January 24, 2005

言論家の「禁忌」

■ 言論家に「禁忌」というものは、あるのだろうか。前に書いたように、「文章全体のプロポーションの悪いものは書きたくない」というのは、雪斎の「美学」の範疇に属するものであるけれども、それ自体は「禁忌」とはいえない。
 言論家として駆け出しの頃、言論家・雪斎の「育ての親」とも呼ぶべき編集者M氏から、「手を染めてはいけないこと」として次のような点を示されたことがある。
 1、特定の「個人」を名指しして批判してはいけない。
 2、「運動」に関わりを持ってはならない。
 当初、これが何を意味するのかについては、雪斎には明確には判らないところがあった。けれども、暫くしてから、この教示の正しさを実感する機会が、度々あった。確かに、この二つの「禁忌」を破った論客の言論の「質」は、決定的に低下するのである。
 第一に、個人を名指しして行った批判は、その人々の「意見」を批判したものなのか「人格」を批判したものかが、曖昧なものになる。厳格な作法に基づいた学術上の批判と反批判の応酬ならばともかくとして、狭い意味での論壇においては、個人名を挙げた批判は、たんなる「噛み付き」の類に終わることが多い。そのような「噛み付き」の類の批判を、「辛口評論」などと呼んで黙認し、あるいは煽ったりさえしているのが、一部のメディアの姿である。ある言論(テーゼ)から高次の発展した言論(ジン・テーゼ)を生み出さないようでは、批判(アンチ・テーゼ)も「アンチ・テーゼ」の価値を持たない。けれども、実際には、ジン・テーゼを生み出すことのない「噛み付き」の類の批判が、至るところにはびこっている。そうした言論は、言論家にとっては、「噛み付き」によって何事かを語っているように錯覚させている点において、「安直」としか形容できないものなのである。
 第二に、言論家は、一旦、諸々の「運動」の渦中に巻き込まれれば、その「運動」の論理でしか物事を語ることが出来なくなる。「運動」は、本来は多様な人々の「力」を一つの方向に誘導するのを第一の目的としたものであるから、そこで用いられるのが定型的、紋切り型の言葉であるのは、当然のことである。たとえは、邦人拉致問題でいえは、拉致被害者家族やそれを支援する活動家から、「とにかく経済制裁を発動せよ」というこ定型的な言葉しか出て来ないのは、「運動」の特質上、何の不思議もないことである。ただし、言論家は、多様な可能性を考慮しなければならない。にもかかわらず、このような「運動」の論理に寄り掛かって、「とにかく制裁を」などと鼓吹する言論家は、決して少なくない。そうした言論家は、その「運動」の論理に相反する議論を初めから受け付けないという姿勢を示し、その言論の「視野狭窄」を来たすことがある。雪斎は、「右」であれ「左」であれ、言論家の真贋を見分ける一つの方法は、その人物が「運動」にどこまで深く入れ込んでいるかを見ることだと思っている。その点、伊豆見元先生が『中央公論』今月号に載せた論稿「北朝鮮への真の圧力は何か―国際的制裁の道を閉ざすな」は、拉致被害者支援「運動」に関わっている人々には有り難くないものであるかもしれないけれども、こうした論稿を世に問うことにこそ、言論家、広い意味での知識人の責務があるわけである。
 上の二つの「禁忌」を破ることが言論家にもたらすのは、「安直」と「視野狭窄」である。そのような「安直」や「視野狭窄」に身を委ねるのは、少なくない言論家にとっては、おそらく「快」である。しかし、そのような「快」の先にあるのは、途方もない「堕落」なのである。

■ 下掲の論稿は、昨日付『産経新聞』「正論」欄に載ったものである。「正論」欄に最初の原稿を載せたのは、1997年2月のことであった、以降、月に一度のペースで書こうと思い立ち、書き続けた結果、昨年夏には通算百編の大台に達した。下掲の原稿は通算105編目の原稿になる。

■ 復興支援に望まれる「少しの配慮」 

 インドネシア・スマトラ島沖を震源として発生した巨大地震は、特にインド洋東海域に甚大な津波被害を及ぼし、二十二万人を超える人々の生命を奪った。この震災への我が国政府の初期対応は、災害救助・医療チームや自衛隊部隊の急派、五億ドルの資金拠出表明といったように、迅速にして適切なものであった。感染症の拡大が懸念されるように、被災した国々の状況は決して良くないようであるけれども、震災救援の初期対応には万全を期さなければならないし、それを最前線で担っている人々の労苦は、多とされるべきであろう。
 ただし、このような初期対応が一段落し、中長期的な復興の展望を始めた折には、我が国もまた、「何を、どの程度まで手掛けるか」を冷静に見極めなければなるまい。過去十数年、我が国は、露骨な言葉を使えば「他人の不幸」に便乗する形で対外関与の余地を拡げてきた。我が国が現在の国力を維持する限りは、海外での「他人の不幸」に際して資金提供や人材派遣を要請される局面は、増えこそすれ減ることはないのであろう。しかし、その一方で、我が国にも、資金提供や人材派遣といった支援を無限に続けるわけにもいかないという事情がある。我が国の人々は、このような支援が国益上、何を狙ったものであるかを諒解する必要がある。その際の基本方針として相応しいのが、他国の人々の「共感」の獲得である。
 因みに、外務省ウェブ・サイト上に公開されている「在サマーワ連絡事務所より サマーワ『キャプテン翼』大作戦-給水車が配る夢と希望-」という手記は、復興支援の文脈で考慮されるべき「共感」の獲得の意味を焙り出していて、誠に興味深い。この手記によれば、外務省は、昨年十月二十二日に陸上自衛隊部隊が展開するイラク南部ムサンナ州水道局に対して、 無償資金協力で給水車二十六台を贈呈していたのであるけれども、その給水車には、サッカー・アニメーション『キャプテン翼』のステッカーが貼られていたのだそうである。『キャプテン翼』は、中東地域ではアラビア語の吹き替えで放送され、子供たちには「キャプテン・マージド」として人気を博しているのだそうである。イラクは、サッカーが盛んな国柄であるから、そのようなサッカー・アニメーションが受け容れられる素地は、以前から出来上がっていたといえる。このような事情に着目した「少しの配慮」は、我が国がイラク復興支援の作業を進める際には、大事なものである。というのも、それは、現地の人々の「共感」を着実に積み重ねるものであるからである。筆者は、このアイディアを思い付いた外務官僚E氏は明らかに「いい仕事」をしたと思う。
 我が国は、イラク復興支援が依然として成らざる段階で、インド洋諸国復興にも乗り出さなければならないけれども、その際にも、この「少しの配慮」の意義は、重いものとなろう。そして、それ故にこそ、我が国が様々な対外支援を展開していく上では、このような「少しの配慮」を着実に示していくための条件を用意することが、切実に求められよう。前に触れた「『キャプテン翼』大作戦」の場合には、「少しの配慮」は、外務官僚E氏の着想に負うところが大きかったけれども、他の場合においても、そのような「個人の着想」に多くを期待するわけにはいかない。支援を仰ぎたい人々にとって本当に有り難く感じる「少しの配慮」を紡ぎ出す作業は、一人一人の個人の着想に委ねるには、余りにも複雑なものであるからである。具体的に模索されるべきは、外務省や自衛隊を初めとする政府機関から、諸外国との交流に携わる各種NGO、日本国内に居住する外国人留学生やアカデミズムの世界の人々に至るまで、様々な人々の知見を様々な事態に即して役立てるための「知の銀行」と呼ぶべきものを普段から構築して置くことであろう。このような「知の銀行」の構築は、我が国の資金に裏付けられるならば、人類全体に対する実質的な貢献となろう。
 災害に際しての資金提供や人材派遣に比べれば、「知の銀行」の構築は、明らかに「目立たない」作業であろう。しかし。このような「目立たない」作業こそ、手掛けるべき価値のあるものなのではなかろうか。
  『産経新聞』(二〇〇五年一月二十三日付)掲載

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Comments

はじめてお便りします。
kenboy3さんのコメントからやってきてから、
日々読ませていただいております。この度、
私のつたないブログですが、お薦めリンクに
登録させていただきましたので、ご報告します。
(トラックバックもします)
かんべえさんの紹介より先にこちらへはたどり
ついております。
かんべえ一派(勝手に思っているだけですが)
ですが、よろしくお願いします。
専門性のない人間から見ますと、雪斎さんの
文章も目からウロコという感じですが、読む
毎にわくわくする文章は素敵ですね。
楽しみにしています。

Posted by: ファガスの森 | January 24, 2005 at 09:05 PM

〉ファガスの森殿
kebboy3殿のブログでは度々、お見かけしています。御来訪、有り難うございます。
貴ブログにも参上させていただきます。よしなに。

Posted by: 雪斎 | January 24, 2005 at 11:06 PM

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Tracked on January 24, 2005 at 09:07 PM

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Tracked on January 24, 2005 at 10:32 PM

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