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January 31, 2005

「石油」と国際政治

■ 昨晩、放映されたNHKスペシャル『原油高騰』は興味深かった。番組の紹介は次の通りである。。

「原油価格の異常な値動きが世界経済を直撃している。 高騰する原油価格は”大増税”となって世界経済に大きな打撃を与えかねない。 わずか数年前には十ドル台だった原油価格が、なぜこれほどまでに急騰したのか。原油市場の新たな主役となったヘッジファンドに密着し、原油価格の最新の動きを追いながら原油をめぐる世界的な攻防を探る」。

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January 30, 2005

誕生日の一日

■ 昨日、雪斎の誕生日の様子。こんな感じで過ぎていきました。

1、「食」の一日
 ① 昼食・「尾道ラーメン」
: 旨かった。だが、雪斎にとっての一番は「札幌ラーメン」である。尾道の皆さん、御免。
 ② 夕食・神戸「森谷商店」製神戸ビーフ
: 雪斎の姉貴筋、S・Nさんからの進呈物。「ま、まひうー」(何故、「い」ではなく「ひ」なのかを想像して下さい)。もう何もいうまい…。

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January 29, 2005

「四十にして惑わず」とはいうが…

■ 雪斎は、今日、齢四十を迎えた。生まれてから、この方、色々と「制約」の多い道程を歩んできた。それでも、何とか生きてきた。偶々、浦雅春著『チェーホフ』(岩波新書)を読む。チェーホフは、雪斎に先立つこと百五年前の同じ日に生まれた。年譜を見ると、四十歳で『三人姉妹』を執筆、四十一歳で結婚、四十二歳で『桜の園』を執筆、四十四歳で死去とある。チェーホフは、齢四十前後の数年間に、後世に残る文学作品を創り上げた。雪斎は、後世に何を残せるのであろうかと考えてみる。これを考えると、古賢が語ったように、「四十にして惑わず」とは行かない。ただし、方向性は見えている。因みに、雪斎から九十九年前の同じ日に生まれたロマン・ロランにとっては、かの大河小説『ジャン・クリストフ』の執筆は、三十八歳から四十六歳までの仕事であった。雪斎もまた、再び「怒涛の勢い」を思い出して、事に当たりたいものである。

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January 28, 2005

日々の「政治観察」

■ 昨日の衆議院予算委員会での質疑では、小泉純一郎総理と菅直人・民主党前代表との遣り取りに注目が集まった。しかし、雪斎にとって興味深かったのは、総理と石井一議員との対論であった。石井議員は、阪神大震災以後十年の「危機管理体制」の有り様を問い質す中で、大阪・伊丹空港跡地に首都の代替機能を置くことを提案していた。石井議員の議論によれば、首都直下型地震が起こった際には、立川にある副都心機能も役には立たないであろうということなのである。小泉総理も、具体的に特定の地名を口にするわけにはいかないと断った上で、石井議員の問題意識に沿う発言をしていた。多分、この「小泉―石井」対論は、「小泉―菅」対論に比べれば地味なものであるから、メディアが取り上げることもないであろう。ただし、雪斎は、石井議員の質問にこそ、野党議員のあるべき姿が現れていると思っている。これだけ具体的な話を示されれば、執政に責任を負う政府・与党も真面目に応じざるを得ないのである。流石に、石井議員の提案に耳を傾けている小泉総理の表情は、真剣だったようである。雪斎は、こういう具体的、建設的な遣り取りならば、また見たいと思っている。

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January 27, 2005

政治ネタの「占い」

■ たまには、「政治」で遊んでみよう。

1、l「政治家占い」
  http://interior-market.kir.jp/seijika/
 雪斎の結果は、「小泉純一郎」だそうだ。まぁ、いいか…。

2、「21世紀禁断の総理大臣占い」
  http://www.jimin-young.com/new/t00.php3
 雪斎の結果は、「貴方が総理大臣になったとしたら 『21世紀の日本を平和にする総理』になるでしょう」、 「あなたが総理になった場合の内閣支持率は 68%」だそうだ。この占いを運用しているのは、自民党愛知県連青年部。森喜朗総理時代に「割合、笑えるテレビ・コマーシャル」を製作した宮城県連も、そうであったけれども、民主党の勢力が強い県の自民党は、色々と「けったいなこと」」をやっている。もっと「けったいな」企画を見たいものである。

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January 26, 2005

『男子の本懐』の想い出

 ■ 雪斎が高校生の頃、『男子の本懐』(テレビ・ドラマ版)が放映されていた。濱口雄幸に北大路欣也、夏夫人に壇ふみ、井上準之助に近藤正臣という配役であった。雪斎は、このドラマを観てから、城山三郎氏の小説を折りに触れて読んでいた。『雄気堂々』『落日燃ゆ』『硫黄島に死す』といった城山作品は、何れも印象深いものであるけれども、雪斎の人生に大きな影響を与えた一作といえば、『男子の本懐』を置いて他にはない。
 『男子の本懐』が教えてくれたことは、「不遇な時代の耐え方」といったものである。濱口は、大蔵官僚として誠に地味な道を歩んだ。雪斎は、齢三十近くまで「身の不遇」を度々感じていたから、「不遇な時期こそ、誠実に物事に当たらなければならない」という教えは、大きな支えになった。そして、濱口は、総理就任以後には、金解禁、財政緊縮を断行し、ロンドン軍縮条約締結に踏み切っている。現在では、そのような華々しい局面が濱口の事跡として語られることが多いけれども、官僚時代の地味な仕事ぶりを考えれば、そうした大事業に直面した濱口の姿勢の意味が浮かび上がってこよう。要するに、濱口は、仕事の大なると小なるとを問わず、誠実に向き合った人物であったのである。
 今次通常国会の施政方針演説で小泉純一郎総理が『男子の本懐』に言及したこともあり、濱口雄幸のことが紹介されている。雪斎は、小泉総理が濱口雄幸内閣の軌跡に並々ならぬ思い入れを抱いているのは間違いないだろうと思っている。事実、テレビ・ドラマ版『男子の本懐』では、「黄門様」こと佐野浅夫が、濱口の政治上の盟友としての小泉又次郎を演じていた(余談だが若槻禮次郎を演じた竜崎勝は、フジテレビの朝の顔、高島彩アナウンサーの父親だそうな)。当時、雪斎は、小泉又次郎がどういう政治家であったかを知らなかったけれども、今にして思えば、佐野浅夫の「おっさん」的演技は、「生真面目・濱口雄幸」、「ダンディ・井上準之助」との対比で、「入れ墨大臣」と称された小泉又次郎の個性を表していた。小泉総理が父親や祖父から濱口雄幸について何を聞いていたのかは、雪斎には知る由もない。しかし、小泉総理にとって「祖父さんの仕えた総理」であった濱口が、総理に親近感を与えていたのは、容易に想像できることであろう。
 もっとも、昨日に質問に立った民主党議員は「小泉総理に濱口を語る資格はない」と論難した。実は、遭難して大手術を受けた後、容態が思わしくなく靴の重さにすら耐えらないほどに憔悴した濱口を議場に引きずり出し、死期を早める結果を招いたのは、当時の野党・政友会の姿勢であった。憔悴した濱口の姿を「壮」と見るか「酷」と見るかは、人それぞれであろう。しかし、雪斎は、この「酷」の部分に触れずに命を削って議場に向かった濱口を引き合いに出して、小泉総理を批判するのは公正ではないと思っている。しかも、小泉純一郎―小泉又次郎―濱口雄幸という「縁」の続きは、件の民主党議員以上に、小泉総理に「濱口雄幸について語る資格」を与えているはずである。雪斎は、民主党議員の質問は、質が悪すぎると思っている、野党が一方的に質問し政府が一方的に答弁するという旧来の議会運営の有り様に守られているから、こうした質問の質の悪さも、露見しないで済んでいる。しかし、野党も「答弁」するという状況が当たり前になれば、民主党もまた、「答弁」に反発して議員を総退場させるというという挙にも出られなくなるであろう。「明日は我が身」であるからである。現下の民主党の姿勢の問題点は、政権を担った際の途方もない負荷を前にした「明日は我が身」という感覚が、余りにも希薄であるということであろう。それとも、民主党は、本音のところでは、政府批判に専心できる「万年野党」の座を望んでいるのであろうか。
 因みに、雪斎もまた、濱口雄幸には微々たる「縁」を持っている。「永田町時代」の雪斎が仕えたK・A氏の長女が嫁いだのは、雪斎と同い年で今はニューヨークで弁護士事務所を開いているO氏であるけれども、O氏は濱口の曾孫に当たる人物であった。新婚早々のO氏宅に押しかけて夕食を「ゴチ」になったりしたのは、O氏夫妻には正直に迷惑であったかもしれないけれども、濱口、あるいはO氏の祖父T・O氏(生前、自民党代議士。「吉田学校」第一期生)のことを聞かされたのは、雪斎にとっては「楽しい時間」であった。彼から聞いた「家」の物語は、日本の「エスタブリッシュメント」の意味を教えてくれた。こういう「日本のエスタブリッシュメント」に連なる一群の人々が、日本の「保守」層の最も根本的なところに関わっている。結局、仰々しい「保守」論壇に「保守」はないということなのである。
 雪斎にとって、「男子の本懐」とは、何だろうか。『男子の本懐』を読んで以来、雪斎は、そのことを考えてきたように思う。幸いにして、神は雪斎に対しては人様に披露できる文章を書くだけの「文才」を与え給うたようである。当面、言論家としての雪斎の「本懐」は、「書き続ける他はない」ということなのであろうか。

■ 昨日、拙ブログへのアクセス数は、一日で一〇〇〇を越えた。何が起こっているのであろうか。

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January 25, 2005

民主党の「議員総退場」

■ 昨日のアクセス数は、何時もの倍であった。何故かと考えたら、「かんべえ」殿が、雪斎の二十二日付けのエントリーに言及して下さっていた。「溜池通信」の影響力の大きさに感服した次第である。ネット上では、「かんべえ一派」というのが出来上がっているらしい。「恐るべしっ」である。

■ 十余年前、雪斎は、自民党竹下派から「小沢・羽田派」として分離した後に結成された新生党の幹部議員の秘書であった。そこには、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三、藤井裕久といった人々がいた。今では最大野党の党首になった岡田克也氏は、まだまだ下っ端であった。ある日の昼、議員会館地下の売店にパンと缶コーヒーを買いに出かけたたら、後ろに立っていたのは、サンドウイッチと牛乳を入れたビニール袋を提げた岡田氏だった。雪斎は、率直に驚いた。「全然、威厳がないな…」と思ったからである。
 さて、昨日の衆議院代表質問での「民主党議員退場騒動」には、珍しいものを見せてもらった。雪斎の感覚からすれば、代表質問での質疑は、「実質的な討議」ではなく、「総論、セレモニーとしての討議」である。「何を初めから熱くなっているのかな…」という気がする。
 政治は、「人間関係」の産物である。雪斎は、小泉純一郎総理の民主党に対する姿勢が、岡田代表就任以降、軽侮の色彩を濃くしているように感じている。小泉総理にとっては、岡田克也という政治家は、どのような存在なのであろうか。雪斎は、岡田氏が総理にとっては何時までも「竹下派の小僧」でしかないのではないかと思っている。小泉総理の政治家としての半生を彩るのは、「田中派・竹下派支配への対抗」といったものである。小泉総理は、就任以降、自民党内の「田中派・竹下派」の影響力を徹底して切り崩した。しかし、「田中派・竹下派」のDNAは、新生党、新進党を経て、今や民主党の中核部分に移植されるに至った。民主党は、岡田氏が代表になった段階で、そのDNAの影響が色濃く出るようになった。小泉総理にしてみれば、元々、「あんな小僧の質問など、まともに答えられるかよ…」という思いがあったのではなかろうか。その条件の上で、岡田氏の再質問と小泉総理の再答弁が行われ、「議員総退場」という事態に結び付いたのであろう。雪斎は、自民党と民主党との「協調」が図られる局面が来ることを期待しているけれども、小泉総理と岡田代表の間では、そのような期待が実現するのは難しいと思っている。両者には、政治家として互いへの「共感」の成立する余地が余りにも小さいからである。
 ニコロ・マキアヴェリに曰く、「君主にとっての最大の悪徳は、憎しみを買うことと軽蔑されることである」。小泉総理から完全に軽蔑された政治家を党首の座に据えているのが、現在の民主党の姿である。小沢一郎、羽田孜といった人物が居る限り、岡田氏は、十余年前も今も、こういう人々の「使い走り」である。岡田氏本人にとっては、不本意かもしれないけれども、昨日の「議員総退場」が小沢一郎氏の指示によるものであったと伝えられたことが象徴するように、そのような「小沢―人形使い、岡田―人形」の構図が余りにも露骨に表れ過ぎているのである。結局、自民党が克服しようとしている「竹下派支配の構図」を存続させているのが、現在の民主党である。小沢氏は、「後ろから力を行使したいが、表に出て責任は取りたくない」という以前のスタイルに戻ってしまったようである。民主党は、このような構図を克服できなければ、先々の展望も険しいであろう。我が国の二大政党制が定着するまでには、「仏は出来上がりつつあるが、魂はまだまだ…」というところなのであろう。

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January 24, 2005

言論家の「禁忌」

■ 言論家に「禁忌」というものは、あるのだろうか。前に書いたように、「文章全体のプロポーションの悪いものは書きたくない」というのは、雪斎の「美学」の範疇に属するものであるけれども、それ自体は「禁忌」とはいえない。
 言論家として駆け出しの頃、言論家・雪斎の「育ての親」とも呼ぶべき編集者M氏から、「手を染めてはいけないこと」として次のような点を示されたことがある。
 1、特定の「個人」を名指しして批判してはいけない。
 2、「運動」に関わりを持ってはならない。
 当初、これが何を意味するのかについては、雪斎には明確には判らないところがあった。けれども、暫くしてから、この教示の正しさを実感する機会が、度々あった。確かに、この二つの「禁忌」を破った論客の言論の「質」は、決定的に低下するのである。
 第一に、個人を名指しして行った批判は、その人々の「意見」を批判したものなのか「人格」を批判したものかが、曖昧なものになる。厳格な作法に基づいた学術上の批判と反批判の応酬ならばともかくとして、狭い意味での論壇においては、個人名を挙げた批判は、たんなる「噛み付き」の類に終わることが多い。そのような「噛み付き」の類の批判を、「辛口評論」などと呼んで黙認し、あるいは煽ったりさえしているのが、一部のメディアの姿である。ある言論(テーゼ)から高次の発展した言論(ジン・テーゼ)を生み出さないようでは、批判(アンチ・テーゼ)も「アンチ・テーゼ」の価値を持たない。けれども、実際には、ジン・テーゼを生み出すことのない「噛み付き」の類の批判が、至るところにはびこっている。そうした言論は、言論家にとっては、「噛み付き」によって何事かを語っているように錯覚させている点において、「安直」としか形容できないものなのである。
 第二に、言論家は、一旦、諸々の「運動」の渦中に巻き込まれれば、その「運動」の論理でしか物事を語ることが出来なくなる。「運動」は、本来は多様な人々の「力」を一つの方向に誘導するのを第一の目的としたものであるから、そこで用いられるのが定型的、紋切り型の言葉であるのは、当然のことである。たとえは、邦人拉致問題でいえは、拉致被害者家族やそれを支援する活動家から、「とにかく経済制裁を発動せよ」というこ定型的な言葉しか出て来ないのは、「運動」の特質上、何の不思議もないことである。ただし、言論家は、多様な可能性を考慮しなければならない。にもかかわらず、このような「運動」の論理に寄り掛かって、「とにかく制裁を」などと鼓吹する言論家は、決して少なくない。そうした言論家は、その「運動」の論理に相反する議論を初めから受け付けないという姿勢を示し、その言論の「視野狭窄」を来たすことがある。雪斎は、「右」であれ「左」であれ、言論家の真贋を見分ける一つの方法は、その人物が「運動」にどこまで深く入れ込んでいるかを見ることだと思っている。その点、伊豆見元先生が『中央公論』今月号に載せた論稿「北朝鮮への真の圧力は何か―国際的制裁の道を閉ざすな」は、拉致被害者支援「運動」に関わっている人々には有り難くないものであるかもしれないけれども、こうした論稿を世に問うことにこそ、言論家、広い意味での知識人の責務があるわけである。
 上の二つの「禁忌」を破ることが言論家にもたらすのは、「安直」と「視野狭窄」である。そのような「安直」や「視野狭窄」に身を委ねるのは、少なくない言論家にとっては、おそらく「快」である。しかし、そのような「快」の先にあるのは、途方もない「堕落」なのである。

■ 下掲の論稿は、昨日付『産経新聞』「正論」欄に載ったものである。「正論」欄に最初の原稿を載せたのは、1997年2月のことであった、以降、月に一度のペースで書こうと思い立ち、書き続けた結果、昨年夏には通算百編の大台に達した。下掲の原稿は通算105編目の原稿になる。

■ 復興支援に望まれる「少しの配慮」 

 インドネシア・スマトラ島沖を震源として発生した巨大地震は、特にインド洋東海域に甚大な津波被害を及ぼし、二十二万人を超える人々の生命を奪った。この震災への我が国政府の初期対応は、災害救助・医療チームや自衛隊部隊の急派、五億ドルの資金拠出表明といったように、迅速にして適切なものであった。感染症の拡大が懸念されるように、被災した国々の状況は決して良くないようであるけれども、震災救援の初期対応には万全を期さなければならないし、それを最前線で担っている人々の労苦は、多とされるべきであろう。
 ただし、このような初期対応が一段落し、中長期的な復興の展望を始めた折には、我が国もまた、「何を、どの程度まで手掛けるか」を冷静に見極めなければなるまい。過去十数年、我が国は、露骨な言葉を使えば「他人の不幸」に便乗する形で対外関与の余地を拡げてきた。我が国が現在の国力を維持する限りは、海外での「他人の不幸」に際して資金提供や人材派遣を要請される局面は、増えこそすれ減ることはないのであろう。しかし、その一方で、我が国にも、資金提供や人材派遣といった支援を無限に続けるわけにもいかないという事情がある。我が国の人々は、このような支援が国益上、何を狙ったものであるかを諒解する必要がある。その際の基本方針として相応しいのが、他国の人々の「共感」の獲得である。
 因みに、外務省ウェブ・サイト上に公開されている「在サマーワ連絡事務所より サマーワ『キャプテン翼』大作戦-給水車が配る夢と希望-」という手記は、復興支援の文脈で考慮されるべき「共感」の獲得の意味を焙り出していて、誠に興味深い。この手記によれば、外務省は、昨年十月二十二日に陸上自衛隊部隊が展開するイラク南部ムサンナ州水道局に対して、 無償資金協力で給水車二十六台を贈呈していたのであるけれども、その給水車には、サッカー・アニメーション『キャプテン翼』のステッカーが貼られていたのだそうである。『キャプテン翼』は、中東地域ではアラビア語の吹き替えで放送され、子供たちには「キャプテン・マージド」として人気を博しているのだそうである。イラクは、サッカーが盛んな国柄であるから、そのようなサッカー・アニメーションが受け容れられる素地は、以前から出来上がっていたといえる。このような事情に着目した「少しの配慮」は、我が国がイラク復興支援の作業を進める際には、大事なものである。というのも、それは、現地の人々の「共感」を着実に積み重ねるものであるからである。筆者は、このアイディアを思い付いた外務官僚E氏は明らかに「いい仕事」をしたと思う。
 我が国は、イラク復興支援が依然として成らざる段階で、インド洋諸国復興にも乗り出さなければならないけれども、その際にも、この「少しの配慮」の意義は、重いものとなろう。そして、それ故にこそ、我が国が様々な対外支援を展開していく上では、このような「少しの配慮」を着実に示していくための条件を用意することが、切実に求められよう。前に触れた「『キャプテン翼』大作戦」の場合には、「少しの配慮」は、外務官僚E氏の着想に負うところが大きかったけれども、他の場合においても、そのような「個人の着想」に多くを期待するわけにはいかない。支援を仰ぎたい人々にとって本当に有り難く感じる「少しの配慮」を紡ぎ出す作業は、一人一人の個人の着想に委ねるには、余りにも複雑なものであるからである。具体的に模索されるべきは、外務省や自衛隊を初めとする政府機関から、諸外国との交流に携わる各種NGO、日本国内に居住する外国人留学生やアカデミズムの世界の人々に至るまで、様々な人々の知見を様々な事態に即して役立てるための「知の銀行」と呼ぶべきものを普段から構築して置くことであろう。このような「知の銀行」の構築は、我が国の資金に裏付けられるならば、人類全体に対する実質的な貢献となろう。
 災害に際しての資金提供や人材派遣に比べれば、「知の銀行」の構築は、明らかに「目立たない」作業であろう。しかし。このような「目立たない」作業こそ、手掛けるべき価値のあるものなのではなかろうか。
  『産経新聞』(二〇〇五年一月二十三日付)掲載

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January 22, 2005

大統領の言葉

■ 米国の歴代大統領による就任演説を読むのは、実に面白い。日本で最も有名なのは、、「諸君のために祖国が何をしてくれるかを問うのではなく、諸君こそ祖国のために何ができるかを問い給え」という一節で知られるジョン・F・ケネディの就任演説であろう。この演説は、印象深いフレーズの連続であるけれども、若き日の雪斎が最も気に入っていたのは、次の一節である。
 In the long history of the world, only a few generations have been granted the role of defending freedom in its hour of maximum danger. I do not shrink from this responsibility—I welcome it.
 いやはや。「他ならぬ我らの世代こそが自由を守る役割を負った数少ない世代だ」という認識は、これを若い世代が聞いたらエキサイトするものなのではないかと思われる。この「理想主義」的な言辞の魅力には、なかなか抗いがたいものがある。たとえばNHK大河ドラマ『獅子の時代』のテーマ辺りをBGMにして流しながら、この一節を思い浮かべると、それだけで高揚した気分になってきたものである。「現実主義者」を任ずる雪斎にも、これは否定できない。
 ところで、ジョージ・W・ブッシュの就任演説について、若干の所見。下を参照することにしよう。
  〇 ホワイト・ハウスのサイトに公開された「就任演説全文(英文)」
  〇 『毎日新聞』が報じた「就任演説要旨(日本語)」
 此度の演説では、既に色々なところで指摘されているけれども、次の一節は外すことは出来ない。
 We are led, by events and common sense, to one conclusion: The survival of liberty in our land increasingly depends on the success of liberty in other lands. The best hope for peace in our world is the expansion of freedom in all the world.
 要するに、「他国が自由にならなければ、米国の自由は存続できない」という指摘なのだけれども、この認識は、かの「フロンティア学説」を唱えたフレデリック・J・ターナーの議論が、結局は正しかったのではないかと思わせるものである。「米国は、フロンティアを目指さないと、内からおかしくなる。だから、何時も到達すべきフロンティアを必要とし、発見しようとする」というのが「フロンティア学説」の意味である。この理屈でいけば、世界の「圧制国家」は、米国の「自由」が及ばない荒野であり、その荒野に向けて「フロンティア」を前進させることが、米国の存在意義を守るためにも大事だということになる。これは相変わらずの話である。ただし、こういう話を語るのは、今の米国知識層にとっては、「判っちゃるけど、やめられない」ことなのであろう。
 因みに、米国史上、自分の父親が大統領だったことがある「二世大統領」は、当代ジョージ・W・ブッシュと第六代ジョン・クインシー・アダムズである。アダムズが国務長官在任時に行った演説には、次のような一節がある。
 But she goes not abroad, in search of monsters to destroy. She is the well-wisher to the freedom and independence of all. She is the champion and vindicator only of her own. She will commend the general cause by the countenance of her voice, and the benignant sympathy of her example
 若き日のアダムズは、1770年代、独立戦争直後の時期の対ヨーロッパ外交に携わった。アダムズは、「アメリカが最も弱かった頃」の難しさを知っていた人物であったのである。「米国は退治すべき怪物を探しに外国に出て行くことはしない」という文言は、今のブッシュ政権の姿勢に照らし合わせると、誠に重いものがある。ブッシュ政権は、一期目に既にアフガニスタンとイラクで「怪物退治」をやったし、二期目は北朝鮮、イラン、ミャンマーといった「圧制国家」を「怪物」に設定している。アダムズならば、そのブッシュ政権の姿勢には、「頭を冷やして、自分の評判を気にしてみればいい…」とでも言うのではなかろうか。こういう「米国」もあったのである。

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January 21, 2005

コリン・パウエルの涙

■ 昨日に提出するはずであった『中央公論』来月号の「時評2005」原稿が、午前中に脱稿する。四百字詰原稿用紙四枚半という分量の文章を書くのは、塑造作業にだいぶ、似ている。「ここに粘土を貼り付けて…、削って…。また貼って…、削って…」の連続である。文筆をコンピュータのディスプレイの上で行うようになると、この「貼った削った」の作業が簡単にはなったけれども、際限なく続くようなものにもなった。というのも、千八百字という紙幅の中では、一つの事柄を突き詰めて書こうとすると、途端に文章全体のプロポーションが崩れてしまうからである。雪斎は、「冒頭だけが詳しく結論は淡白に終わる」というようなプロポーションの悪い文章を書きたくない。エリック・ホッファーも、「平衡感覚(sense of proportion)がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらくは道徳的誠実さもありない」という言葉を残しているではないか。雪斎にとっては、「全体のプロポーションを崩さずに、論ずべきところは意を尽くして論じている文章」が、「いい文章」である。ただし、そのような「いい文章」を書くのは、何時も難しい。
 因みに、話は変わるけれども、美女の絶妙のプロポーションとされているのが、かのマリリン・モンローの 「B90、W61、H90」だそうである。これに引き寄せて考えれば、「いい文章」は、「美しい文章」でもある。雪斎も、精進して「美」を創造せねばと思う。

■ 未明、ジョージ・W・ブッシュの二期目の大統領就任演説をNHK総合で視聴する。この件に関する所感は、あらためて書くことにしよう。
 ただし、どうしても触れておかなければならないのは、「コリン・パウエルの涙」である。『読売新聞』記事は、「パウエル国務長官、涙の退任演説…成果と無念が交錯」という見出しで次のように伝えている。

 【ワシントン=菱沼隆雄】第2期ブッシュ米政権の発足を翌日に控えた19日、パウエル国務長官は国務省で退任演説を行い、同省の職員らに別れを告げた。
 対テロ戦の成果や中露との関係改善など4年間の外交成果を次々にあげていくなかで、欧州の同盟国の反対を振り切る形で踏み切った対イラク戦については、「独裁政権を打倒した」と簡単に触れただけ。国際協調を重視したブッシュ政権を代表する穏健派の告別の辞は、成果を誇るだけでなく無念の思いをもにじませたものとなった。
 退任演説の行われた国務省正面玄関ロビーには、同省高官から食堂従業員まで長官との別れを惜しむ数百人が集まった。「私は40年の公僕としての生活に幕を下ろす」。演説が終盤にさしかかるとパウエル長官は涙で声を詰まらせた。
 ブッシュ政権内では、強硬派のラムズフェルド国防長官やチェイニー副大統領とイラク問題や北朝鮮の核問題への対応をめぐってことごとく対立。統合参謀本部議長を含め、35年が軍隊生活で戦争の惨禍を知るパウエル長官は、戦争という選択肢にはギリギリまで反対した。
 バウチャー報道官によると、退任演説後、執務室に戻った長官が、電話で退任挨拶をしたのが、イラク開戦反対の急先ぽうだった仏独露の3外相。「最後まで同盟国との関係改善を願う長官らしい去り際」(同省高官)との声もあった。

 『朝日新聞』記事は、同じ光景を次のように伝えている。
 
パウエル米国務長官は19日、国務省職員たちを前に離任のあいさつをした。その中で「辛抱強い外交」が4年間に多くの成果を上げたと強調、在任中の成果を誇った。職員たちには「私の兵士だった」と呼びかけ、元軍人らしい表現で労をねぎらった。「長官」ではなく「将軍」と呼ばれることもあったパウエル氏らしい別れの辞となった。
 パウエル長官は、4年間に「誇るべきものが多い」として、北大西洋条約機構(NATO)の拡大、ロシアとの戦略攻撃戦力削減条約の締結、中国との関係改善、インド・パキスタン関係の修復、アジアの同盟諸国との関係強化などを挙げた。
 その際、ロシアや中国とは時間をかけて協議して問題を解決に導いたと指摘。「辛抱強い外交」が功を奏したと述べた。また、アフガニスタンとイラクから独裁政権を駆逐したと「対テロ戦」の成果を強調。ただし、両国の民主化は「難しい仕事」と認めた。
 長官は米国の外交官を「米国の価値観の配達人」と呼び、「説教をしたり押しつけたりするのではなく、民主主義が人々により良い生活をもたらすのだと示すことが君たちの任務だ」と明言した。先制攻撃も辞さないブッシュ・ドクトリンや国連軽視の単独行動主義よりも国際協調路線を重視する姿勢が目立った長官らしく、米国人外交官たちの活躍で中東をはじめとする諸地域に民主主義が根づくことへの期待を込めた。
 最後は声を少し詰まらせながら「私は兵士であり続ける。陸軍に35年も勤めて、もう兵士ではないなんて言えない」。話し終えると左手の人さし指でサッと涙をぬぐった。

 このパウエルの様子は、実に「浪花節」的である。以前、『溜池通信』では、日本、米国、英国は、「浪花節」の感覚を共有する国民だという指摘が、為されたことがあったけれども、「パウエルの涙」は、そのような指摘を思い起させてくれるものであった。
 パウエルの足跡に関して大事なことは、「戦争の現実を知る生粋の軍人であるが故に、平和主義的である」ということの意味を特に日本の人々に知らしめたことであろう。日本では相変わらず「戦争は軍人が始める」と考えている人々が多い。しかし、実際には、戦争を始めるのは、何らかの国民的な不満を代弁する知識人であり、それを煽るメディアであり、それを利用しようとする政治家である。現在の自衛隊でも、特に指揮官級の人々は、自らを統制する「政治」の側に対して、部隊の運用に際して慎重にして常識的な判断を求めている。民主主義国家の武官とは、そのようなものなのである。
 そして、雪斎は、極東の同盟国の片隅から、去り行く「老兵」の労を称えたい。
 「将軍、長年の御職務、誠に御苦労様でした…。私は貴官のファンでした」。

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January 19, 2005

「自民党」の日々

■ 昨日、言及したアンソニー・サンプソンの著書四作には、総てに邦訳書が出版されていたようである。ただし、現在、総てが絶版となっている。残念。
1、『セブン・シスターズ―不死身の国際石油資本(上・下)』(大原進・青木栄一 訳、講談社文庫、1984年)
2、『新版 兵器市場―「死の商人」の世界ネットワーク』(大前正臣・長谷川成海訳、TBSブリタニカ、1993年)
3、『ブラック・アンド・ゴールド―国際ビジネスを揺るがす南アフリカ』(仙名紀訳 早川書房、1987年)
4、『ザ・マネー-世界を動かす”お金”の魔力』(小林薫訳 全国朝日放送、1990年)

■ 雪斎は、自民党のシンパと目されている。確かに、雪斎は、自民党の機関誌・機関紙に頻繁に寄稿しているのであるから、そうした見方は決して間違っているわけではない。ただし、雪斎は、自民党の党員でもなければ党友ですらない。雪斎は、元々は新生党、新進党に籍を置き非自民連立政権の一翼を担った政治家の政策担当秘書であった。雪斎は、仕えた政治家が自民党に戻ったのを機に、自民党との様々な「縁」を得ることになり、今に至っているのである。雪斎の「永田町」生活の前半は「非自民党」関係者、後半は自民党関係者であった。「自民党」を外と内の両側から見る機会を得た他に、与党と野党の立場の両方を経験することの出来た七年の歳月は、誠に「密度の濃い」歳月であった。
 下掲の論稿は、昨日付自民党機関紙『自由民主』に掲載され、昨日開催された結党五十年目の定期党大会に参集した人々の眼に触れることになったものである。昔日、かのハロルド・ラスキは、「英国労働党のパンフレット・ライター」と揶揄されたけれども、雪斎もまた、そのような評が後世に与えられるかもしれない。無論、政治学徒は、「実際の政治」に関わりを持つのを厭うのでなければ、そうした評を甘受せざるを得ないのであろう。.ただし、そのことは、政治学徒が何らかの党派的な論理に何の衒いもなく入れ込んで然るべきであると述べているのではない。戦後、「実際の政治」、特に「権力の側」に関わりを持つのを知識人の堕落と蔑む雰囲気があったけれども、雪斎は、そうした雰囲気に浸かり切ることは、「知識人の退嬰」に他ならないのではないかと思っている。
 「実際の政治」に関わる上で大事なことは、たとえば「私は、自民党を支持する立場で文章を書いているけれども、その『私』とは一体、何であるのか」ということが、判っているということである。永井陽之助先生の著作が教えてくれたのは、そのような「『相対化』の相対化」という思考様式であった。この「『相対化』の相対化」という思考を経ない言論は、「左」のものであれ「右」のものであれ、途端にドグマに陥ることになる。昨今、その類の言論が何と多いことであろうか。雪斎の師、山口二郎先生は、雪斎とは政治的主張の方向性を明らかに異にしているであろうけれども、「『相対化』の相対化」という思考様式を踏まえた言論を厳格に展開している。山口先生が『論座』(二〇〇五年二月号)に寄せていた論稿「この十年の日本政治」は、誠に教えられるところの多いものであった。そのような弛まぬ自己検証の姿勢こそが、政治学を含む広い意味での社会科学系学徒の生命なのである。

■ 「自民党立党五十年と今後の課題」
 今年十一月、自民党は結成半世紀の節目を迎えることになった。この半世紀の間、二代の非自民連立内閣が登場した一九九〇年代の一時期を除けば、自民党は一貫して政権を担ってきた。そもそも、政治という営みの目的とは、何らかの大仰な大義を実現するのではなく人々の具体的な利害を調整することにあるけれども、この半世紀の間、自民党による政権運営は、そのような「利害の調整」を旨とする政治の目的に忠実なものであった。
 自民党は、冷戦の進行という国際環境の中で当時の日本社会党に対抗する意味合いで結成された保守政党であるという一般的な印象にもかかわらず、その政権政党としての実際の政策運営は、イデオロギー色の薄いものであった。事実、戦後、長きに渉って、我が国の幾多の人々は、「生活水準を向上させ、豊かさを実現する」ことを共通の目標にしてきたけれども、自民党の政策展開は、そのような「共通の目標」に寄り添う形で行われてきた。現在では自民党による政策展開の「負」の側面として語られることが多くなった田中角栄以来の「利益誘導」手法にしても、それが目指したのは、「生活水準を向上させ、豊かさを実現する」という「共通の目標」を地方都市においても達成することであった。その一方、たとえば自主憲法制定は、自民党結党以来の党是であるけれども、世の人々は、その党是の実現を切実なものとして要請しなかった。結党以来の自民党がイデオロギー色を露骨に示してこなかったというのは、この辺りの事情を指している。
 自民党が今後も我が国の政権を担当する政党であり続けようとするならば、そのようなイデオロギー・フリーの姿勢は、確実に踏襲されるべきであろう。阪神大震災、オウム真理教事件、北朝鮮によるテポドン・ミサイル発射や邦人拉致の顕在化、さらには「九・一一」事件といった一連の出来事は、戦後に営々と築いてきた「豊かな社会」の前提が「安全」にあることを誰の目にも明らかにした。また、現在の我が国の社会は、確かに「豊かさ」を実現させたけれども、その一方では、NEETと呼ばれる若者達の登場が象徴するように、社会に潜む「倦怠」の気分や「活力低下」の兆しが出現していることも指摘されなければなるまい。
 当面、我が国が手掛けなければならない施策の本質は、世の人々に対して、どのように確かな「安全」を提供し、「倦怠」や「活力低下」を避けるための施策を着実に示せるかということに他ならない。これらの施策は、決して特定のイデオロギーに基づく大義の実現ではない。それは、幾多の人々が、それぞれの時代環境に即して示してきた一つ一つの要請への対応でしかない。たとえば、憲法典改訂を含め、現在に進行する「普通の国」への脱皮の動きは、「進歩・左翼」層が懸念するのとは異なり、決して「保守・右翼」層のイデオロギーの表れではない。逆にいえば、「普通の国」への動きが、そのようなイデオロギーの色調に彩られるようなことになれば、実際に浮かび上がってくるのは、相当に歪んだ「普通の国」像であろう。「左翼・進歩」層のものであれ「右翼・保守」層のものであれ、政治の世界にイデオロギーや観念を持ち込むのは、弊害の多いものなのである。
 結局のところ、自民党が政権運営に際して立脚すべきは、人々の「常識」に他ならない。人々の「常識」に立脚し人々の要請に応える施策を一つ一つ提示していく作業は、誠に地味なものであろう。それは、もしかしたら世の人々の快哉によって迎えられる類のものではないのであろう。しかし、政権を担う政党の宿命とは、絶えず転がり落ちる大石を山頂に運び続ける宿命を背負ったギリシャ神話上の男、シシュフォスのように、そのような誠に地味な営みに耐えるということなのではなかろうか。
自民党機関紙『自由民主』(二〇〇五年一月十八日)掲載

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January 18, 2005

アンソニー・サンプソンのこと

 ■ 昨年末、アンソニー・サンプソンが逝去した。『毎日新聞』に載った訃報は、次の通りである。

 アンソニー・サンプソンさん(英作家、ジャーナリスト).。英インディペンデント紙によると、18日夜、英国内の自宅で死去、78歳。南アフリカ通信は死因は心臓発作と伝えた。
 1926年、英ダラム州生まれ。オックスフォード大を卒業後、51年に南アフリカに渡り、週刊誌の編集者になり、反アパルトヘイト(人種隔離)活動家のマンデラ氏(後に南ア大統領)らと親交を結んだ。
 55年からは英オブザーバー紙などに勤務し、幅広いテーマで執筆。国際石油資本を取材した「セブン・シスターズ」(75年)、国際的な武器取引の内幕を描いた「兵器市場」(77年)などが代表作。マンデラ氏から執筆依頼された同氏の伝記は99年に出版された。
 晩年は週1回、インディペンデント紙のコラムを執筆。イラク戦争前にはロンドンでの反戦の大デモ行進に参加した。
 (共同)
 毎日新聞 2004年12月20日 12時12分

 雪斎は、大学院生時代、サンプソンの著作を熱心に読んでいた。中でも印象深かったのは、次の四作である。
 1、The Seven Sisters: the Great Oil Companies and the World They Made.
 2、The Arms Bazaar: From Lebanon to Lockheed
 3、Black and Gold
 4、The Midas Touch: Understanding thBlack and Golde Dynamic New Money Societies Around Us
 これらの著書に絡むキー・ワードは、「石油」、「武器」、「ゴールド」、「マネー」である。①は、エッソ、ガルフやモービルといった「国際石油資本」七社の話、②は、アドナン・カショーギのような武器商人が暗躍する「兵器市場」の話。③は、南アフリカにおける「アパルトヘイト」と「金鉱産業」の話。④は、「人間」と「マネー」の話である。
 サンプソンを読み始めた当初、「なんでぇ、落合信彦は、これの二番煎じかよ…」と思った。それは、ともかくとして、こういう書は、国際政治の「裏」で動くものに対する感覚を養ってくれた。「石油」、「武器」、「ゴールド」、「マネー」は、それを手掛けた人々に対して、巨大な利得をもたらし。その利得の巨大さ故に、それを手掛ける人々の「欲望」は、それぞれの国々の政治の動向も左右することがある。田中角栄が逮捕されたロッキード事件にしても、②に描き出された「兵器市場」の様子に触れてみれば、たんなる「贈収賄」という域に止まらない底の深さが感じられる。「政治」に関して何も驚くことはないと教えてくれたのが、この一連の著作であった。
 ところで、今、読み始めたのが、米国で投資顧問会社を経営するピーター・バーンスタインの著書『ゴールドー金と人間の文明史』である。いやはや、アングロ・サクソン系&ユダヤ系は、やることが壮大ですな。「歴史」と「経済」の知識が融合した話に触れるのは、なかなか楽しいものがある。吉田茂の「商人的国際政治観」に影響を受けた雪斎は、この世界が好きなようである。

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January 17, 2005

1・17 神戸 東京

■ 十年前、神戸で震災が起こった朝、雪斎は、たまたま六時過ぎに布団に入ったままテレビのスイッチをつけた。ブラウン管に映し出しだされたのは、炎上最中の神戸の市街地であったけれども、「コーベ」という地名が繰り返されるのを聞き、「コーベ…ねぇ。カフカスにコーベなんて街があったかな…」と反応した。雪斎は、元来、低血圧気味なので、寝起きが非常に悪い。その時も、雪斎は、完全に寝呆けた状態で、炎上する街の風景が、「神戸」のものではなく「内戦の最中にあったカフカスのどこかの街」のものだと感じた。それほどまでに、「神戸」と「災害」とは、雪斎の頭の中では、結び付かなかったのである。因みに、雪斎は、青森・八戸に育った。『ご当地の踏み絵・青森人編』というサイトにも、「震度5程度ではうろたえない」というチェック項目があるように、雪斎にも、震度4、5程度の地震は、来ても当たり前という感覚がある。「青森県の地震」という弘前大学のウェブ・ページによると、戦後に限っても、八戸周辺は、マグニチュード7レベルの地震に四度、見舞われている。特に、「1968年十勝沖地震」のことは、物心が付いてからも繰り返し聞かされた。もし、八戸周辺で震度6程度を観測する地震が起こったと聞けば、「えっ、またかよ…」と思ったかもしれない。だからこそ、「神戸」と「地震」が結び付いた折には、「なんで??」と思ったのである。
 当時、雪斎は、「永田町」の住人だった。震災当日の永田町の雰囲気は、意外と静かだったと記憶している。午前中、刻々と送られて来る中継映像を見ながら、「あと二、三時間、発生が遅かったら、もっと酷いことになっている…」という今にして思えば驚くほどに冷静な議論をしていた。ところが、段々、時間が経って来ると、「自衛隊は動かないのか…」、「村山さんは何をしているのか…」という想いが募ってくる。村山総理が記者会見に臨んだのは、震災発生から十時間後の午後四時、兵庫県知事が自衛隊に災害派遣を要請したのは、夜になってからのことである。しかも、その夜に、ニュース・キャスターが「一般車両の神戸への往来は控えてください」と呼び掛けていたのは、仰天しつつ、完全に堪忍袋の緒が切れた。「馬鹿野郎、まだ通行禁止命令ぐらい出ていないのかよ…」とブラウン管に向けて罵声を浴びせた。雪斎は、野党議員の秘書だったけれども、そういう政治的な立場はともかくとして、「村山は最悪だ…」と思った。雪斎は、今でも、村山富市内閣に「日本における統治の質」が「底値」を付けたと思っている。
 特に国際政治学者は、「他人の不幸」を題材にして物事を考えているところがある。雪斎は、震災の年の秋に、阪神大震災と二ヶ月後の東京地下鉄サリン・テロ事件が焙り出した「日本の不備」を論じた原稿を書き、その原稿によって言論家として離陸した。戦後、営々として築いた「豊かな生活」も「安全が確保されていなければ画餅に過ぎず、その「安全」を具体的に確保する方策を模索しなければならない。この雪斎の持論は、十年前に書いた原稿以来、何ら変わっていない。「国家の役割は、災害などの必要なときに必要なことができるということである」。雪斎の国家認識の第一は、このことである。

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January 15, 2005

政治の「圧力」とはなにか。

■ この数日、政界とメディアの世界を巻き込んだ騒動になっているのが、「NHK番組改変問題」である。事の真偽に対する判断は保留するとしても、一時期は「永田町」の住人だった雪斎の立場から、次のような話は書きとめておく必要がある。こういう「脚本」を考えてみよう。
 □ 永田町の午後
  場所   / 永田町・議員会館内○代議士事務所、NHK局内
  登場人物/ 【雪】=雪斎、【代】=〇代議士、【幹】=NHK幹部、【総】=NHK教養系番組総括プロデューサー、【番】=NHK番組『歴史法廷』担当ププロデューサー
 〇 第一幕/ 永田町・議員会館内○代議士事務所
【幹】 こんにちは。本日は、私どもNHKの予算と事業計画についてご説明に上がりました。
【代】 やぁ、ご苦労さん。早速、始めてくれ給え。
      … NHK側の説明が続く。
【幹】 …ということでございます。〇先生には、ご理解を賜りたく…。
【代】 判った。ところで、今度の「大河」は、評判が良いみたいだね。
【幹】 おかげさまで、主演の〇〇さんの演技が評判です。
【代】 〇〇か。親父さんの演技も凄かった。いい役者になったのだな。ところで、「変な番組」もあったそうだね。
【幹】 「変な番組」…ですか。何でしょう。
【代】 そこに居る雪斎が話していたのだよ…。雪斎君、説明し給え。
【雪】 ご苦労さまです。雪斎です。三日前の夜に放映された『歴史法廷』という番組ですが、かなり公平中立を旨とするNHKにはそぐわない内容であったのではないでしょうか。あの番組を放映する折に、局内で揉めませんでしたか…。あれは、うっかりすると、特定の政治的主張のプロパガンダですよ…。
【幹】 雪斎さんのご意見は、担当の者にも伝えることにしましょう。
【雪】 いやいや。これは一視聴者としての感想ですよ。
 〇 第二幕/ NHK某所
【幹】 自民党〇先生のところに行ってきたよ。予算も事業計画も問題ないし、今度の「大河」の評判もご存知のようだった。
【総】 それは、良かったですね、
【幹】 ただね…。
【総】 ただ…?
【幹】 『歴史法廷』は、〇先生のところでも話に出てきたよ。あそこの雪斎さんという秘書が、結構、厳しいことを言っていたよ。「特定の政治的主張のプロパガンダじゃないのか」とか何とかってね。
【総】 そうですか・・・。
      …そして、別の部屋。
【総】 【幹】から聞いたのだけど、『歴史法廷』は不味かったかな。自民党の〇議員のところからは、「プロパガンダだ」とクレームが付いたみたいだし…。次は、この手のものは止めた方がいいのではないかな…。
【番】 何を言っているのですか。これは、「政治」の圧力ではないのですか…。

 もちろん、これは、フィクションである。ただし、ただし、雪斎は、これに近いことは、永田町では日常的に行われていることを知っている。永田町での政治家の仕事の中身は、結局のところは、他人に対する「働き掛け」に他ならない。その「働き掛け」は、職務権限に基づく「命令」ならばともかくとして、それ以外の場合には、「圧力」なのか「要望」なのか「意見表明」なのかが、曖昧であることが多い。総ては、「働きかけ」を受けた人々の感じ方次第なのである。「圧力」を告白したNHKプロデューサーにしても、問題は、彼が「圧力」と感じたが故に「圧力」だったということに過ぎないかもしれないのである。
 今回の一件では、安倍晋三、中川昭一、中川秀直の各氏が、ドキュメンタリー番組の改変に「圧力」を加えたと伝えられている。雪斎にとって腑に落ちないのは、これらの各氏は問題となった番組を見ていたのかということである。連日、夜十時過ぎまで会合に加わったりしているのが政治家の日常であれば、これらの各氏が件の番組を見るほどに暇であったとは思われない。雪斎が前に示した「脚本」のように、、誰かから番組についての話を聞き、何かの話の序でに触れてみたというのが、実相なのではなかろうか。
 このように「伝聞」と「伝聞」で始まった話が大事(おおごと)になって、我が国の政治家の時間と精力が浪費される。おかしな話である。

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January 14, 2005

『アメリカ太平記』

■ 昨日、記した「48時間耐久レース」は、午前二時頃に襲ってきた睡魔には勝てず、遂に「リタイア」と相成る。起床後、寝間着に綿入れを羽織っただけの姿で、執筆を再開し、午前十時頃、原稿を提出する。担当のM氏からは、一部の加筆を要請された他は、問題なしとの連絡が入る。それにしても、雪斎も、確かに年を取っている。「72時間耐久レース」などをやっていたのも、今となっては昔のことか…。

■ 『溜池通信』最新号では、「ペリー来航後、19世紀後半の米国史については、日本人にはあまり詳しくない」という記述がある、名うてのアメリカ・ウォッチャーである「かんべえ」氏の見方は、正しい。さらにいえば、日本人は、独立戦争以後、南北戦争に至るまでの米国のことには、まるで知識がない。日本人にとっての米国とは、結局のところは、フランス革命との関連で語られることの多い独立戦争期の米国であり、自ら対峙することの多かった二十世紀以降の米国である。日本人の米国像は、独立戦争期の「自由の国」と二十世紀の「傲慢な大国」との間で分裂しているのである。
 しかし、米国にも「弱かった時代」があったという事実は、日本人も理解しなければなるまい。1812年6月に始まる米英戦争では、米国は、英軍に攻め込まれ大統領官邸をも焼失させている。現在の米国国歌は、その戦争の最中、英軍の猛攻に晒された要塞が持ち堪えたのを見た作者が、その感激を詠じたものである。要するに、これは、「守りきった」ことに対する感慨の歌である。逆にいえば、「守りきった」ことに感慨を抱くほど、この時期の米国は、弱小の国であったのである。
 『アメリカ太平記―歴史の転回点への旅1845』(佐伯泰樹著、中公叢書)という書がある。この書は、独立戦争から南北戦争に至る時期の米国の諸相を教えてくれる。こうした書に触れられていることは、米国を語る際には、きちんと踏まえられるべきかもしれない。日本の「反米」論客の多くは、実は思いつきで物事を語っているのである。因みに、雪斎が学生時代に課されたレポートの課題には、「19世紀のアメリカ外交を論ぜよ」というのがあった。今にして思えば、「19世紀の米国」に関心を向けさせてくれたという意味で、それは「いい課題」だったと思う。

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January 13, 2005

「物書き」の現実

■ 物書きは、楽な商売ではないな。雪斎は、つくづく、そう思う。
 昨日、原稿依頼が二件、入った。
 一件目は、産経新聞「正論」欄担当のⅠ氏より。依頼の文面から、「何時まで、正月ボケしているのだよ…」と言われているような気がした。慌てて原稿を書き始めて、結局、脱稿したのが午前四時前。そのまま床に入ることもなく朝を迎え、今日は、大学で午前は授業、午後は教授会。無茶苦茶な一日となった。加えて、保有する製薬会社株は、今日時点で買値を割り込む。「売り時」を完全に誤ったが故の不始末である。オー・マイ・ゴッド。基督教徒でもない雪斎も、このように叫びたくなる。
 二件目は、自民党機関紙「自由民主」担当のM氏より。聞くところによると、今月十八日の自民党党大会の席で、参会者に配布するのだそうである。いわば結党半世紀目の党大会の記念号に、雪斎の原稿が載るわけである。素晴らしい。これで、雪斎も「歴史の随伴者」になるのか。しかし、締切は、明日朝。久し振りの二日連続徹夜、「48時間耐久レース」になる。
 「印税生活」に憧れている人々へ。これが「物書き」の現実である。くわばら、くわばら。

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January 12, 2005

イラク復興支援とサッカー

 雪斎は、昨年十月、 『中央公論』(2004年11月号)に「自衛隊は『共感を呼ぶ軍隊』である―海外活動で培った住民との信頼関係」 と題された論稿を発表した。「イラクに派遣された自衛隊部隊の役割は、イラクの人々の『共感』の獲得に他ならないと」いうのが、論稿の趣旨であった。
 イラク復興支援の文脈では、面白い動きがあった。昨年十月二十二日に、外務省は陸上自衛隊が展開するイラク南部ムサンナ州水道局に対して、 無償資金協力で給水車二十六台を贈呈していたのであるけれども、その給水車には、サッカー・アニメーション『キャプテン翼』のステッカーが貼られていたのだそうである。『キャプテン翼』は、中東地域では アラビア語の吹き替えで放送され、子供たちには「キャプテン・マジード」として人気を博しているのだそうである。こういう仕掛けを作ったことによって、復興支援は、イラクの人々の「共感」の下で進めることができる。雪斎は、このアイディアを思いついた外務官僚は「いい仕事」をしたと思う。この件の顛末は、外務省サイト上に公開されている「在サマーワ連絡事務所より サマーワ『キャプテン翼』大作戦-給水車が配る夢と希望-」という手記が、詳しく教えている。雪斎は、つくづく「現場の人々」の努力は、大したものだと思う。
 ところで、 「イラク」、「サッカー」と来れば、雪斎は、どうしても1994年ワールドカップ、アジア最終予選対イラク戦の際の「ドーハの悲劇」を思い出す。当時の日本代表チームは、雪斎と同世代のJリーグ草創期のプレーヤーが中心であり、彼らの「世界舞台」への挑戦を応援しただけに、あのロスタイムでの「イラクの同点ゴール」には思いっきり脱力した。失点の瞬間に、ピッチにへたり込んだ面々の表情は、名状し難いものがあった。そして、今、その「日本のサッカー」を表現したアニメーションが、イラクの子供たちに受け容れられている。日本の「ソフト・パワー」の質は、なかかなか高いものがあるといえよう。
 もっとも、雪斎は、『キャプテン翼』を見たことがない。雪斎にとってのサッカー・アニメーションとは、何時までも『赤き血のイレブン』である。「男が目指す 敵ゴール~~♪ 」という主題歌の一節は、どうも耳にこびりついて離れない。雪斎は、この作品の結末がどうなっていたのかを長い間、知らなかったけれども、「主人公が日本初のプロ・サッカーチ-ムの結成を目指す」という結末なのだそうである。このアニメーションからJ・リーグ創設まで二十年の歳月が経っていたのか・・・。

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January 11, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#2

■ 昨年末、『溜池通信』では、「憤兵は敗れる」という言葉の出典に関する議論が行われていた。この議論の中で出てきた「かんべえ」氏の「戦争は『勘定』でやるものであって『感情』でやるものではない」の言葉は、確かに名言であった。雪斎は、この議論の中で「憤兵を敗れる」の出典が『漢書』であると知ったので、その前後の記述を確認してみた。「魏相丙吉伝」の「相、上書して曰く…」で始まる一段落は、誠に多くの示唆を与えるものであった。それ故にこそ、雪斎は既に一編の原稿を書いた。そして、雪斎は、これを機に、『漢書』(ちくま学芸文庫・全八巻)を購入し、読み始めている。ただし、『漢書』は、中国二十四史書の中の一つで、『史記』と双璧を成す作品と称されている。これは読み通すには相当な時間が掛かりそうである。
 此度の「時評2005」原稿は、再び「魏相丙吉伝」の記述に依拠したものである。雪斎は、似たようなネタを使い回して原稿を書くのを好まないけれども、このネタで突き詰めて原稿を書こうとすれば、少なくとも七編の原稿が用意できそうである。東西両洋の古典は、様々な思索の淵源である。此度の原稿は、「兵が忿る者は敗れる」の記述を現在の日本国内の対中国感情や対北朝鮮感情の有り様に投射させて論じたものである。外交は相手のある営みなのであれば、「毅然とした外交」という言葉が一人歩きを始めるようならば、実際の外交展開を歪めることになるであろう。「毅然」という言葉は、物事に臨む姿勢を表すものであっても、その方針を表すものではないからである。
 尚、『中央公論』今月号に掲載された様々な論稿の中でも興味深かったのは、渡邊昭夫先生の論稿「『吉田ドクトリン』の遺産と誤算」と伊豆見元先生の論稿「国際的制裁の道を閉ざすな」の二つであった。特に渡邊先生の論稿は、戦後日本外交の軌跡の意味を考えさせる。こういう論稿を読めるのは、何時も嬉しい。

■ 時評2005 「毅然とした外交」に潜む不安

 昨今、我が国の外交を語る言説の中で頻繁に耳にするのは、「毅然」の言葉である。たとえば邦人拉致問題に絡む北朝鮮政府の対応は、「悪漢国家」としての印象を定着させた感がある。また、AFCサッカー・アジアカップ中国大会の折の「反日」騒動や中国海軍所属原子力潜水艦による日本領海侵犯といった事件は、我が国の人々の対中印象を悪くしている。世のの人々が「毅然とした外交」を要請するのは、故なきことではない。
 このような対中関係や対朝関係の風景が筆者に思い起させるのは、史書『漢書』「卷七十四・魏相丙吉傳第四十四」の中の次の一節である。
 「人の土地貨寶を利する者、之を貪兵と謂う。兵が貪る者は破れる。国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵が驕する者は滅ぶ」。
 『漢書』の記述を援用すれば、「強盛大国」を標榜する北朝鮮は、その国情の内実はともかくとして「驕兵」の彩りを鮮やかに示している。そして、中国は、南沙諸島の領有や東シナ海海洋権益の扱いを巡って「貪兵」の姿勢を露わにしているし、近年の劇的な経済発展は、その対外姿勢に「驕兵」の趣きをも与えている。この中朝両国の「貪兵」と「驕兵」の姿勢は、それが自らの「破」や「滅」に結び付くという意味においては、先々の破綻を免れまい。特に「政冷経熱」を指摘される現下の日中関係を前にして筆者が訝るのは、胡錦濤(中国国家主席)や温家宝(中国首相)を初めとする中国共産党政府指導層が、どのように「兵貪者破、兵驕者滅」の文言を遺した自らの先人の警告を受け留めているのかということである。少なくとも周恩来、華国鋒、鄧小平といった過去の指導層は、「イデオロギー」よりも「実利」を優先させた柔軟な政策の展開を通じて、日本国民各層の「共感」を繋ぎ止めてきた。我が国の人々が長きに渉り大々的な対中政府開発援助の提供を是認してきたのは、そのような対中「共感」の故に他ならない。然るに、江沢民以降の中国政府指導層は、「日本国民の『共感』」という名の資産を無分別に食い潰している。たとえ「政冷経熱」関係の責任を小泉純一郎(内閣総理大臣)の靖国神社参拝などに帰する中国政府の姿勢に理があったとしても、そのことによっては、スポーツ・イヴェントでの騒動や領海侵犯といった無礼や無作法が正当化されるわけではない。二〇〇四年の中国は、「反日」の論理で国際常識に悖る行為を繰り返した結果、却って国際社会での信用の低下を招いた。中国が直面する「破」や「滅」の危険とは、そのようなものなのである。
 その一方、我が国の人々が留意すべきは、既に触れた『漢書』の件の前には、次の文言が記されているということである。「小故を恨んで争い、憤怒して忍ばざる者、之を忿兵と謂う。兵が忿る者は敗れる」。無論、ジョージ・F・ケナンが「民主主義国家は平和愛好的ではあるが、怒り狂って闘う」と喝破したしたように、民主主義体制下での政策展開は、世の人々の「怒り」の感情に裏付けられた際には最も劇的に進むものである。けれども、『漢書』は、そのような「怒り」の感情に裏付けられた政策展開が、結局は自らの「敗」を招くことを教えている。中朝両国の「貪兵」と「驕兵」の姿勢が、前に触れたように「破」や「滅」という先々の破綻に行き着くものであるならば、そのような姿勢に煽られた結果、我が国が自ら「敗」を呼び込むような振る舞いに走るのは、愚かなことではなかろうか。
 筆者は、現下の「毅然とした外交」を求める声が「忿兵」の姿勢への傾きを持つものである限りは、それを肯んずることはしない。北朝鮮情勢への対応に関していえば、経済制裁発動を迫る議論が沸騰しているけれども、実効性を伴った対朝「圧力」の具体的な施策として先ず模索されるべきは、北朝鮮に絡む様々な問題を国連安保理に付託した上での対朝非難決議の採択であろうし、次には対朝経済制裁決議の採択であろう。我が国にとっては、この経済制裁決議採択の成った暁こそが、国際協調の一環として粛々と制裁発動に踏み切る時機である。『漢書』には、「乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂う。兵が義なる者は王たり」という一節もある。北朝鮮の「暴」を誅したいというのは、我が国の人々の抱く感情かもしれない。けれども、我が国の対応が「義」として承認されるために必要とされるのは、「毅然とした外交」という言葉が暗示する単線的な対応ではなく、国際社会全体を見渡した複雑にして微妙な対応なのである。
         『中央公論』(2005年2月号)掲載

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January 10, 2005

大河ドラマの話

■ 昨日、NHK大河ドラマ『義経』が始まった。雪斎のような奥州人にとっては、身近なところに、義経にまつわる話が転がっている。
 先ず、『義経』には、市川左団次演ずる「金売り吉次」が登場する。宮城・栗駒山麓 国道四号線沿い県最北端、県境を越えると岩手県一関市となるという位置に栗原郡金成町があるけれども、ここは、「金売り吉次」の故地とされている。雪斎の故地は、金成町の南隣の築館町である。幼少の頃、雪斎の母親が「ここは金売り吉次が通ったのよ…」と言っていたことがあった。歴史の知識を持たない幼少期には、「金売り吉次って、誰よ・・・」と思っていたのであるけれども、成長するにつれて、平安期には栗原郡一帯は砂金の産出」で賑わっていたらしいことを知った。要するに、栗原郡一帯では、「金売り吉次」は「豊かさ」と「政治力」を備えたヒーローであるという記憶が残っているのである。その故か、雪斎もまた、「ゴールド」には、心惹かれるものを感じている。だから、雪斎が保有する株式の相当数は、とある鉱山会社のものである。ここの会社で出している「千両箱」は凄いですな。雪斎は、これは正直に欲しいと思う。ただし、手に入れるまでには、もう少し頑張らねばな・・・。
 次に、雪斎が高校まで過ごしたのは、青森・八戸市「高館」地区である。この「高館」という地名は、義経が実は平泉で死なずに北へ逃げていったという「義経北行伝説」に由来する。「高館」地区から市内に往来するとときには、「小田の坂」と呼ばれる急な坂道を通らなければならない。路面が凍結する冬場の往来は、なかなか大変なものであった。
 このように幼少の頃から聞かされた「歴史の話」は、成長した後でも、価値観の多くを形作っているところがある。雪斎は、中学の頃、「教科書」に書かれてある歴史は、何時も足りないと思っていた。なるほど、「教科書」には「金売り吉次」のことはでてこないし、「義経伝説」も語られない。雪斎は、「歴史教科書」が完全に当てにできるものでもないと判った。

■ 雪斎は、三十年近く、NHK大河ドラマを見続けて来た。近年は、『北条時宗』『利家とまつ』『武蔵』といったように筋書きに明白な破綻を来たしている愚作が続いたのは、残念であったけれども、昨年の『新撰組!』は、よく出来た作品であったと思う。大河ドラマの効用は、「子供たちを歴史の世界に誘う」というのが第一であろう。本来ならば、父親や祖父が、子供や孫に「英雄伝説」を含む歴史物語を語り聞かせるべきなのであろうけれども、実際には、そうしたことができる人々は、決して多くない。大河ドラマは、そのような祖父や父親の代わりという役割を果たしているのである。雪斎は、大河ドラマで歴史好きになったお陰で、高校卒業までは広い意味での社会科が一番の得意科目であった。特に政治学徒にとっては、「歴史の素養」は、不可欠なものであるけれども、そうした素養の下地は、高校卒業までに確かに身に付けることが出来た。一旦、「歴史が面白い」という感覚が身に付けば、後はアメリカ史であろうとヨーロッパ史であろうと踏み込むのは、難しくないからである。近年、「歴史教科書」を巡る論争があるけれども、子供たちの関心を歴史に向けさせるためには、良質な歴史ドラマの持つ意義は大きい。NHKに対する逆風は強いものがあるけれども、大河ドラマのような長丁場の歴史ドラマは、NHKしか作れないのも事実である。何はともあれ、大河ドラマは、貴重なのである。
 ところで、雪斎が過去三十年の作品の中で最も強い印象を受けたものを五つ挙げるとすれば、次のようになるであろう。

1、『独眼竜政宗』( 昭和62年放送、原作/山岡荘八、出演/北大路欣也、岩下志麻、渡辺謙)
2、『黄金の日日』(昭和 53年放送、原作/城山三郎 出演/市川染五郎、丹波哲郎、栗原小巻)
3、『風と雲と虹と』(昭和 51年放送、 原作/海音寺潮五郎、出演/加藤剛、緒形拳、吉永小百合)
4、『獅子の時代』(昭和 55年放送、原作/山田太一、出演/菅原文太、加藤剛、鶴田浩二)
5、『武田信玄』(昭和 63年放送、原作/新田次郎、出演/中井貴一、若尾文子、紺野美沙子)

 これらは、ある意味では総てが「敗北」と「挫折」の物語である。しかし、雪斎は、人々の心に深く残るのは、「勝利」と「栄光の物語よりも、「敗北」と「挫折」の物語であると思っている。
 

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January 08, 2005

「執事」の話

■ 雪斎は、かなりのイギリス映画フリークである。中でも「人生」を感じさせてくれたのが、『日の名残り』(監督 ジェームズ・アイヴォリー、出演 アンソニー・ホプキンス、 エマ・トンプソン)であった。執事という「職務」に忠実である余りに、眼の前の「恋愛」を手にできなかった男の軌跡は、切ないことこの上ない。雪斎は、この映画を見るとき、小椋佳の『愛しき日々』の一節「きまじめすぎた まっすぐな愛 不器用者と 笑いますか もう少し 時が たお「」やかに過ぎたなら…」をも思い浮かべる。マルチェロ・マストロヤンニの『黒い瞳』とは別種の「男の切なさ」」の世界がl、そこにある。その一方、雪斎は、執事の「職務」における「品格」に強く心を惹かれた。雪斎は、男の種別としては、ホプキンス演じる執事に思い入れがある。
 因みに、この執事が戦後に仕える米国人富豪を演じていたのが、昨年に逝去した「スーパーマン」こと、クリストファー・リーブであった。劇中のリーブは、「力はあるが、がさつ」」という米国そのものを表したような演技をしていた。この映画それ自体は、「人間関係の機微」を扱ったものであるが故に、この米国人富豪の「がさつさ」は、かなり目立った。この映画を監督したジェームズ・アイヴォリーは、米国人であるけれども、英国階級社会を扱った作品を多く手掛けている。米国人富豪の描き方は、アイヴォリーの皮肉であったのであろうか。

■ ところで、六年前、雪斎は下掲のような論稿を発表したことがある。日米関係を「貴族と「執事」の関係に見立て、日本は「執事」が有するような「政治手腕」や「調整能力」を身に付けよというのが、この論稿の趣旨であった。その後、「9・11」事件、イラク戦争を経て、米国に対する印象も、だいぶ揺れ動いた。小泉純一郎総理の対イラク開戦支持声明は、対米「追随」との批判を浴びた。下掲の論稿を発表し、「9・11」事件直後には対米連帯を訴え、イラク戦争に際しては対米支持を説いた雪斎の立場の論客は、「親米保守」と位置付けられ、「反米」論客からは罵倒に近い声が浴びせられた。しかし、雪斎のスタンスは、実際には六年前から何ら変わっていない。対米関係を考える上で大事なことは、米国が耳を貸すような言葉を、どのように発していくかということである。そのような言葉は、「反米」論客の中から出て来るはずはない。信を置いていない人物の言葉に真面目に耳を貸すなどといったことは、普通は、なかなかできない相談であるからである。


  「執事国家」・日本の可能性

 今期通常国会の焦点は、日米防衛新「ガイドライン」関連法案の審議である。現在、この法案審議を巡っては、昨年夏以来の北朝鮮情勢の緊迫化との関連で様々な議論が進められている。けれども、この法案は、本来は、冷戦終結後の国際環境の下、我が国が米国の同盟国として当然に行うべきことを不充分ながらも当然に行えるようにすることを目指したものであった。従って、今後、どのように北朝鮮情勢が推移しようとも、この法案自体は着実に成立させるべきものである。それは、たとえ当面の危機が回避されたとしても、棚上げにされて済むような政策課題ではないのである。
 私は、一昨年八月二十五日付の本欄において、日米新「ガイドライン」策定の問い掛けるのが、「唯一の超大国」としての米国に対して、どのように同盟国としての我が国が向き合うかということの構想や論理に他ならないと指摘した。折しも、この数年の経済失速が、「第二の敗戦」、あるいは「マネー敗戦」という言辞ともに昭和二十年の「敗戦」の比喩で語られ、そのことに付随した「反米」、「嫌米」の気運が間違いなく拡がっているのであれば、われわれに大事なのは、覇権国家としての米国に対する自らの位置を規定する模索を続けることである。そして、従来のように、敗戦と占領の記憶に呪縛され、「属国意識」とでも呼ベるような卑屈さを表面に出したり、「反米」、「嫌米」の気運に浸ったりするが如き振る舞いは、そのような模索には何ら益するところはあるまい。
 それでは、米国に対する我が国の自己規定の有り様とは、どのようなものであろうか。私は、率直にいえば、国際社会において、米国という覇権国家の「執事」の役目に徹することにこそ、我が国の今後を見たいと考えている。作家の塩野七生氏の説明によれば、ヨーロッパ世界における「執事」には、ただ単に「貴人に側近として仕え家政を仕切る」役割ではなく、「考え方の異なる人々の集合体の中で、調整を行い、その集合体を機能させる」役割があったとのことである。現在、われわれは、「執事」といえば英国上流社会の「執事」を思い浮かべるのが常であるけれども、そのことは、昔日の英国が様々な民族、宗教、文化を背景とする人々から成った「植民帝国」であったという事情と無縁ではない。
 無論、「執事」とは、我が国では、馴染みがある種類の人々ではないかもしれない。しかし、武家における「家老」ということならば、我が国の多くの人々には、得心しやすいのではなかろうか。山本周五郎の傑作『樅ノ木は残った』に描かれているように、御家騒動に端を発した藩取り潰しの危機から仙台藩を救ったのは、仙台藩家老・原田甲斐である。原田甲斐にせよ、「忠臣蔵」の赤穂藩家老・大石内蔵助にせよ、我が国においては、一つの組織や集団の中で最も鋭敏な政治感覚や卓越した政治手腕が要請されてきたのは、「家老」、「番頭」である。古来、我が国には、「馬鹿殿様」はいたとしても、「馬鹿家老」はいないのである。われわれは、そのことを改めて想起すべきではなかろうか。
 われわれは、米国に対しては、誇り高き「執事」、「家老」として振る舞うべきである。様々な民族、宗教、文化を背景とする国々の中で、洋の東西、あるいは先進産業諸国と発展途上諸国との間の関係を調整するという有り様は、我が国の国柄からしても、決して理に叶っていないとはいえない。「調整型」のリーダーシップとは、近年の我が国では余り評判の芳しいものではないけれども、我が国が国際社会で振る舞う際の流儀としては、誠に自然なものなのではなかろうか。そして、特に米国が様々な国際問題に際して一方的な対応に走りがちな国柄を持つ国であるだけに、われわれが、適正に「執事」、「家老」として振る舞えれば、その立場は殊の外、重いものになるであろうし、時には米国の対応に異を唱えたとしても、その異論は実を伴ったものとして受け止められるようになるであろう。
 「日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東の要石であり続けなければならないのは、こうした理由によるのだ。要といっても、受動的ではなく能動的に発言する要石であり-しばしば英知を秘めた相談相手となり、われわれが導きを時には指導性さえ求めて対すベき要石であり続けなければならないのだ」
 二十数年前、米国で「最後の賢人」と称される歴史学者、ジョージ・F・ケナンは、このように書いたことがある。米国の極東戦略にとって日本が「要石」であるというのは、既に常識に属する事柄であろう。しかしながら、われわれが留意すべきは、ケナンが期待した「要石」としての日本とは、米国に対しては、「能動的に発言し」、「英知を秘めた相談相手となり」、「導きと指導性を提示し得る」存在に他ならなかったということである。これは、間違いなく、「執事」、「家老」としての存在ではないであろうか。従来、我が国は、このケナンの期待に応えたとはいえない。そして、私は、我が国の国際社会における立場の浮沈は、このケナンの期待に本当に応えようとする意志を持ち、実際にそのように振る舞えるかということに掛かっていると考えている。われわれは、今後、どのような教訓や示唆を米国に示し得るであろうか。総ては、われわれ自身の問題である。
         『産経新聞』「正論」欄(一九九九年二月八日付)掲載
 

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January 07, 2005

『中央公論』「時評2005」原稿・#1

■ 『中央公論』は、雪斎の論壇デビュー作が載った雑誌である。デビュー作の載った雑誌を手にしたとき、雪斎の頭の中には、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェンの交響曲第五番・第四楽章の旋律が流れていた。沈鬱な調べが続く第三楽章の後に、金管の音色が鳴り響く第四楽章は、「苦難を乗り越えて歓喜に至れ」という言葉を音楽の上で表現していると思う。「苦難の日々」が続いた後で、自分の論稿が載った雑誌を手にしたとき、雪斎は、眼の前に光輝溢れる風景が開けたように感じた。「第五交響曲・第四楽章」の旋律は、そうした雪斎の感慨に重なり合っていたのである。
 その後、『中央公論』には、度々、原稿を寄せている。その折々には、もはや「第五交響曲・第四楽章」の旋律が、聞こえてくることもない。『中央公論』で書くことは、今では「実家での用事」に精を出すようなものである。そして、雪斎は、今年は一年通しで、「時評2005欄」を担当することになった。「時評」欄は、政治学系では、2000年に北岡伸一、2001年に田中明彦、2002年に山内昌之、2003年に飯尾潤・白石隆、2004年に飯尾潤・渡邊昭夫の各先生方が、それぞれ担当されていた。こういう先生方の後を襲う形になるのは、正直なところ、ちょっとした驚きであった。割合、気楽に依頼を引き受けた後で、「オヨヨ…」と慌てるのは、雪斎の何時もの悪い癖だが、此度も、そうだったようである。それにしても、この話を持ちかけられたとき、M編集長は、全然、深刻な顔をしていなかったのよね…。
 下掲の原稿は、その「時評」欄の第一作である。


■ 時評2005  麻薬としての「反○○」思考

 ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)とジョン・F・ケリー(民主党上院議員)が覇を競った此度の米国大統領選挙は、ブッシュの再選という結果に終わった。ブッシュは、選挙人獲得数でも一般投票数でも過半数を制したという意味では、フロリダ州での集計に伴う紛糾を経た四年前とは異なり、その大統領としての地位の正統性を揺るぎないものと感じているであろう。加えて、連邦議会上下両院選挙でも、共和党は優位を確保した。特にトーマス・A・ダッシェル(民主党上院院内総務)の落選は、民主党の「冬の時代」を象徴する光景であった。
 ケリーの敗北や民主党の零落には、既に様々な説明が行われている。就中、筆者に説得力を感じさせるのは、「ケリー陣営は、『次期大統領がJ・F・ケリーでなければならない理由』を説明できなかった」というものであった。確かに、此度の選挙の焦点とされたのは、ブッシュによる対イラク政策の評価であった。大量破壊兵器の存在証明の失敗、イラクの戦後統治に伴う困難は、たとえばマイケル・ムーア(映画監督)の作品『華氏911』の評判が象徴するように、「果たしてブッシュでいいのか」という疑問を幾多の米国市民に呼び起こしたことであろう。けれども、『華氏911』それ自体もまた、「反ブッシュ」感情を刺激するものであったとしても、「ケリーでなければならない理由」を説くものではなかった。その点、大統領選挙最中、民主党支持層から出て来た「ブッシュ以外なら誰でもよい」(“Anybody But Bush”)の標語は、結局のところは、ブッシュとケ リーが大統領候補として持つ存在感の落差を逆の意味で物語っていたのではなかろうか。
 ところで、「反ブッシュ」感情の動向に幾分かでも左右された選挙の顛末を前にして、筆者が思い浮かべたのは、「反○○」という枠組で物事を把握し、行動することの持つ「陥穽」といったものである。「反○○」という枠組は、幾多の人々に対して、何らかの正当な政治的、思潮的な立場に依って物事を語っているかのような錯覚を与えやすい。そのことは、この「○○」に入る言葉の意味するものが、米国や中国という国家であれ、自由民主党や民主党といった政党であれ、共産主義や帝国主義といった思潮であれ、さらには小泉純一郎や小沢一郎といった個人であれ、同じことである。そうであればこそ、マイケル・ムーアは、「反ブッシュ」感情に寄り掛かるだけで、自らの映画を世に送り出すことができたのである。昨今の我が国でも、たとえば「反米」の立場を掲げれば、とにもかくにも一編の論稿や一冊の書が出来上がる。「反○○」という思考や姿勢は、何か事を為すに際しては相当に安易な枠組を与える「麻薬」なのではなかろうか。
 しかし、「反○○」という立場や姿勢に初めから寄り掛かった議論は、結局のところは余り積極的な意義を持たない。そもそも、「○○」に入るものは、個人であれ党派であれ国家であれ、誠に多様なものであるけれども、そのような多様な「人間」を前にして採られた「反○○」思考は、どことなく教条的な色調を帯びることがある。「反○○」思考の教条的な性格は、様々な物事を正確に理解しようとするならば、却って大きな支障になることがある。因みに、我が国の政治の世界では、一九五五年以降、自民党優位の時期が永らく続いた故にか、政府・与党に対する「反」の姿勢を示すのが、野党の原初的な役割と解する向きがある。たとえば 目下、一般に「党首討論」と称される衆参両院の国家基本政策委員会合同審査会での討議では、総理大臣と民主党を初めとする野党党首は「対等な討論」をする建前であるにもかかわらず、実際に繰り返されてきたのは、野党党首の「質疑」と総理大臣の「答弁」という光景であった。この事実は、現在ですら、野党が政府・与党に「反」の姿勢を示すのを第一とする惰性から抜けていないことを示している。世は「二大政党制」に向けて着実に進んでいるという指摘があればなおさら、この惰性の持つ弊害は強調されなければなるまい。振り返れば、岡田克也(民主党代表)は、二〇〇四年七月末に米国民主党全国大会を訪問し、「ブッシュ・コイズミ」同盟への対抗心を露わにしながら、米国民主党に対する共感を内外に示した。そして、今、岡田麾下の民主党が参照すべきは、「反○○」思考に足を取られた米国民主党の軌跡なのではなかろうか。
            『中央公論』(2005年1月号)掲載

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January 06, 2005

海へ・・・。そして、チェーホフ

■ 雪斎は、以前、「新『南洋』戦略論」と題された論稿を発表したことがある。この論稿の趣旨は、昔日、「南洋」と呼ばれた太平洋島嶼諸国との提携を軸とした「海の外交」の展開を提唱するものであった。この論稿は、雪斎が初めて真正面から対外戦略を論じ、しかも相当の評価を得た「成功作」であったが故に、忘れ難いものとなっている。今、雪斎は、インド洋大津波災害を機に、「海の外交」論を読み返してみる、この論稿には、下のような一節がある。
 

加えて、このような安全保障上の「南洋」関与の前提として、我が国は、現行憲法典を改正し、海外に派遣し得る「海軍」を再建させた上で、「南洋」海域の巡視や哨戒を目的として、ヘリコプターや垂直離着陸機、あるいは水上輸送機を搭載した航空母艦の保有に踏み切るべきであろう。今後、我が国が保持すべき海軍とは、評論家にして麗澤大学教授である松本健一氏の言葉にある「テリトリー・ゲーム」の手段ではない。「テリトリー・ゲーム」の時代ならば、海軍とは、排他的な勢力圏を確保するための手段として使われるものであったかもしれないけれども、今後の海軍の役割は、海賊への対処、自由航行路の保全、海洋汚染の防止といったように、国際的な海事警察機能の一翼を担うことへと比重を移すであろう。その点でも、「テリトリー・ゲーム」の時代の海軍の有り様に思考を呪縛されることは、弊害が多いのである。

 雪斎は、この空母保有の提案をだいぶ、びくびくしながら書いた記憶がある。しかし、今ならば、空母保有には、合理性が認められるのではなかろうか。日本は、此度の災害救援に九百人の自衛隊部隊を派遣するのだそうである。しかし、救援活動の実を挙げるためには、災害地に提供する物資だけではく、自衛隊部隊が消費する物資を万全に用意する必要があろうし、活動の恒常的な拠点も確保しておく必要がある。こういう用途には、空母はなかなか相応しい装備なのではないか。この際、米国海軍の退役空母を導入しても、いいのではないかと思う。

■ 雪斎は、三十歳代の最後の日々を過ごしているので、ここで誕生日ネタを一つ。雪斎の誕生日、1月29日には、史上、どのような人々が誕生しているのであろうか。「有名人誕生日データベース」というサイトで調べても判るとおり、その中には、アントン・チェーホフの名前が出てくる。
 イタリア映画『黒い瞳』 (監督/ニキータ・ミハルコフ,、出演/マルチェロ・マストロヤンニ)は、チェーホフの『犬を連れた貴婦人』や他の作品に着想を得たものである。この映画のの「ツボ」は、何といってもマストロヤンニの演技だろう。特に映画の最終部で、ロシアに残した恋人の存在を妻に問われて、恋人への想いを断ち切るように「ない」と否定したときのマストロヤンニの背中の演技は、凄いものだと思った。物語前半のマストロヤンニの役柄が、「身勝手」「優柔不断」「情けない」を絵に描いたようなものであったために、この「背中が泣いている」演技は、強烈に印象に残っている。これを初めて観たとき、雪斎は学生であったけれども、「如何ともし難い人生のほろ苦さ」を教えてもらったと思っている。劇中のマストロヤンニは、貧乏学生から銀行家の娘と結婚して「逆・玉の輿」を実現させた男であったけれども、人生における「幸福」とは、そうしたことばかりにあるわけではないのであろう。
 因みに、ジョージ・F・ケナンが来日し、案内役を務めた故・高坂正堯教授と懇談したときに、話題にしたのは、チェーホフの文学世界であったそうである。日米両国の現実主義者が談じ合った「チェーホフ」とは、どのようなものであったのであろうか。雪斎は、その辺りのことが気になって仕方がない。


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January 05, 2005

さて、「仕事」を始めようか。

■ そろそろ「仕事」を始めなければならない。今年最初の題材になるのは、インド洋大津波災害に対する各国政府の対応である。こいう災害救助の折には、「人道」が前面に出るけれども、その裏では、各国による「影響力」拡大・行使の合戦が始まっている。ただし、この「影響力」行使合戦の目的は、被災諸国の人々の「共感」の獲得であるといっても差し支えない。、
 梶原一騎原作の劇画『愛と誠』(昔、読みました。夏夕介・池上季実子によるテレビ・ドラマも見ました。西城秀樹・早乙女愛の映画は見ていない)の冒頭には、「愛は平和ではない。愛は戦いである。武器の代わりが誠であるだけで、それは、地上における最も激しい、苦しい、自らを捨ててかからねばならない、戦いである」というジャワハルラル・ネルーの言葉が付されている。異性の「愛」を得るのも他国の人々の「共感」を得るのも、本質的には何ら変わらない営みである。それは、「誠」を武器にした闘いである。日本政府の対応は、今のところ実に上手くやってると見るべきであろう。
 果たして、一月三日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙には、”Aid effort shows limits of China's rising power”と題された論説が掲載されている。こういう論説が出てくること自体、中国の今後の道程の険しさを物語っているということであろうか。

■ 齢三十を以て「而立」、齢四十を以て「不惑」としたのは、数千年前の中国のことである。だから、フジ・サンケイ・グループに身を置く雪斎の「姉上」によると、今の日本では、人生設計は七掛けでやるのだそうである。これで行くと、「而立」は齢四十二、「不惑」は齢五十六、「古稀」は、齢九十八である。因みに「志学」が齢二十一である。ただ単に学校に通う云々ということではなく、社会人としての修練の出発点を齢二十一とすれば、社会人として然るべき責任と権限を有する「而立」が、齢四十二ということだろうか。この指標は確かに合っていると思う。雪斎も、二年後には政治学者として「而立」を果たしたいと思う、尚、雪斎は、一人っ子である。雪斎は、尊敬する年上の女性を「姉上」、「姉貴」と呼ぶことにしているので、何時の間にか「姉上」が増えてしまった。上の「姉上」も、そうした一人である。

■ 「かんべえ」殿のサイト『溜池通信』には「かんべえの不規則発言」というコーナーがある。そのコーナーの1月4日の欄で拙ブログを紹介して頂いた。「かんべえ」殿、ありがとうございます。精進します。ところで、「かんべえ」殿には、「名古屋嬢」に関する記事を紹介させて頂いた。こういう人種が登場しているとは・・・。「負け犬の遠吠え」論争に目を奪われて、こういうものに気付いていなかった・・・。「名古屋嬢」というのは、「パラサイト・シングル」の典型なのか。それとも、「勝ち犬」候補なのか。「名古屋の好況」が終わった後の「名古屋嬢」を見てみたい気がする。

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January 04, 2005

ロマン・ロラン、そして現実主義と理想主義

 ■ 雪斎が高校時代に読み漁ったのが、『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』といったロマン・ロランの作品であった。後年、雪斎の誕生日がロランと同じ(1月29日)であることを知ったときには、正直に嬉しかったものである。ロランには、次のような言葉がある。「理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である」。
 雪斎は、自らを「保守主義者」であると語る気は毛頭、ないけれども、「現実主義者」であるとは思っている。ただし、それは、「現実」に際限なく追随するという意味での「現実追随主義」とは似て非なるものである。雪斎が依るような「現実主義」を「現実追随主義」と批判する人士は、「現実主義」が絶えず「現実」と「理想」の狭間で格闘する思考態度であるということを理解していない。そうした批判をする人々は、「左」にも「右」にも多いのである。
 ところで、昨日付けの「日々の戯言」で言及した朝日新聞元旦社説では、「東アジア共同体」構想、「東シナ海海洋資源の日中共同管理」提案といった「理想」が語られている。その「理想」を受け容れるかはともかくとして、朝日社説が「理想」を語ったのは、評価に値する。ただし、朝日社説は、そのような「理想」を実現するための具体的な手順については、何も語っていない。朝日社説は、次のように書く。「孫文は1924年、神戸市で『大アジア主義』と題する演説をした。道徳を重んじる『王道』の東洋文化が『覇道』の西洋文化より勝るとして、アジアの独立と復興を訴えたのだ。日本が『覇道の番犬』となる恐れにクギを刺しつつ、東アジアの連携を求めたのである」。 しかし、現在、「覇道の権化」として振る舞っているのは、他ならぬ中国ではないのであろうか。朝日社説は、結果としては「覇道の権化」にならざるを得なかった戦前期・日本の軌跡を批判して止まないけれども、現下の中国の「覇道」には及び腰の批判しか加えていない。、「東アジア共同体」構想、「東シナ海海洋資源の日中共同管理」提案といった朝日社説の「理想」は、中国の「覇道」が改められることが前提となる、もし、雪斎が「親中国派」知識人の片割れであるならば、「覇道」の先にある苦難と破滅とを中国政府要人に説く。その破滅は、六十年前には日本が経験し、その後には英国やフランスが相次いで経験したものであるからである。そうした過程を欠落させて、「アジアの連帯」を模索するのは、奇異なことである。
 ロランの大河小説『魅せられたる魂』には、次のような言葉もある。「英雄とは自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる」。これは、言論家としての信条というよりも、雪斎の人生を支えた言葉の一つである。「できることをし続ける」。それが現実主義者の「証明」である。

 ■ 何故か、「ゴダイゴ」のCDを久し振りに聴く。『ガンダーラ』と『銀河鉄道999』は、つくづく名曲ではないかと思う。それにしても、『ガンダーラ』がテーマ曲として使われたドラマ『西遊記』に三蔵法師役で出演していた故・夏目雅子は、美しかった…。色気付き始めたロー・ティーンの頃に得た「きれいなお姉さん」のイメージは、後々まで残るものである。後に夏目雅子が作家と結婚したと聞き、「物書きになれば、あんなにきれいなお姉さんを嫁さんにできるのか」と思って、物書きをやっているのは、雪斎の「ああ、勘違い」であったのか…。

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January 03, 2005

正月も三日目…

 ■ この数年、正月にやることといえば、大作映画を観るものと相場が決まっている。昨日深夜から今日未明に掛けては、ルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィッヒ・神々の黄昏』が放映されていた。ルキノ・ヴィスコンティは、中世にはミラノを支配し、ローマ教皇をも輩出した名門貴族の末裔であり、この作品は、ヴィスコンティらしい「退廃」「美」「絢爛」の作品である。雪斎は、こういう作品世界には強く惹かれるものを感じている。次は、あらためてヴィスコンティの傑作『ヴェニスに死す』を観なければと思っている。「ヨーロッパ」を理解するためには、これらは大事な作品であろうと思われる。

 ■ もう一つ正月恒例のことになったのが、全国紙六紙の「元旦社説」の読み比べである。今年のライン・アップは下の通りである。
  『読売』「『脱戦後』国家戦略を構築せよ…対応を誤れば日本は衰退する」
  『産経』「【主張】歴史の大きな流れに思う 保守に求められる創造的挑戦」
  『朝日』「2005年の始まり――アジアに夢を追い求め」
  『毎日』「戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう」
  『日経』「戦後60年を超えて(1)――歴史に学び明智ある国際国家めざそう」
  『東京』「年のはじめに考える この国にふさわしい道」

 上の六社説の中で雪斎が「共感」を感じた度合いで格付けすると、Aが読売、日経、B+が毎日、B-が朝日、Cが産経、東京である。雪斎が産経社説にCを付けたのは、「年頭社説に『保守』云々と同人誌みたいなことを書くな」という想いがあるからである。雪斎は、巷では保守論客として目されているところがあるけれども、常々、「やあやあ、我こそは保守論客なり」といった面持ちで論陣を張る一部の論客には怪訝の眼差しを向けてきた。そうした論客の中には、「やあやあ、我こそは、真正の保守論客なり」と言い募る人々も出てくる。そのような傾向は、保守論壇における「自己愉悦」と「狭隘」を加速させているのである。産経社説は、自ら「保守主義者」などと自己規定するはずもない市井の人々には、誠に奇異なものであるだろう。この社説が保守論壇という内輪での納得を得るために書かれたものであるならばともかくとして、広く市井の人々に訴え掛けるために書かれたものであるならば、その用を為してはいまい。これは、保守論壇の「蛸壺」化を象徴するような代物である。雪斎は、東京社説にもCを付けたけれども、そこには、余りにも定型的な「平和主義」感情の発露が見られる。東京社説は、「武力を使わない新しい国際的な秩序づくり-日本にふさわしく、より現実的な役割ではないでしょうか。『戦後零年』に還(かえ)った元旦、あらためて思います」と締めくくっているけれども、それは、戦後六十年の時代の変化を真正面から見ていない議論であろう。戦後六十年が「戦後零年」に還ったという時代認識それ自体は、そのような思考停止を象徴的に示している。

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January 01, 2005

年頭の戯言

 平成十七年の元旦を迎えた。大晦日の異例の「雪」から一転して、東京はうららかな晴天である。朝、雪斎宅のベランダから霊峰・富士を拝むことができた。今年一年が、このように穏やかな日和のように続くことを願いたいものである。
 雪斎は、今年、齢四十を迎える。古来、「三十に而して立ち、四十にして惑わず」という。確かに、雪斎は、齢三十の折に言論家として立った。「四十にして惑わず」という境地に達することができるかには、甚だ自信がない。少なくとも、雪斎の四十歳代は、「後世に残せるものをきちんと造ることのできる十年」でありたいと願っている。
 とjころで、雪斎は、昨年、株式投資を始めた。北岡伸一著『清沢冽』には、戦前期の外交評論の世界で名を成した清沢冽が有価証券を含む相当の資産を有していた事情が紹介されている、北岡伸一先生は、清沢について、「何時でも筆を断つという覚悟で言論に臨むためには、安定した経済基盤による担保が必要だった」という趣旨の説明をされていたと記憶している。雪斎は、清沢の姿勢に倣いたいと思った。雪斎も、世に阿って原稿を書き散らし結果として粗い議論をするようになるよりは、そうした余裕の上で緻密な言論を展開していたいものだと思っている。因みに、昨年の投資成績は、「損失は全然、出ていない」というものである。投資経験十ヵ月の雪斎にしては、それなりに良くやったと見るべきだろう。大きく儲けようという気は、さらさらないけれども、自分の「言論の質」を維持するためには、「焦って書くこともないという余裕」の拠り所を手にしておくことは大事だと思われる。雪斎が保有する株式の中心は、某「銀行」株である。大手銀行の不良債権処理が進んだこともあり、当面、この種の株式は、安心して持っていられるものと判断している。
 雪斎の言論活動は、昨年までの『産経新聞』「正論」欄、『月刊自由民主』「論壇」欄に加え、昨年末から『中央公論』「時評2005」欄の執筆を主とすることになる。『中央公論』「時評2005」欄執筆開始の折には、色々な方面から祝意を表して頂いた。ありがたいことであった。特にS・K先生からは、ニューヨークから激励のメールを頂いた。曰く、「○○(雪斎の実名)を起用するとは、中央公論も、なかなかのことをやる…」とのことであった。S・K先生の期待を裏切ることのないように、きちんとしたものを書かなければならないと思っているところである。
 拙ブログ『雪斎の随想録』もまた、折に触れて書くものになる。来訪された方には、「どうか、よしなに…」と申し上げたい。

 さて、話は変わって、昨年末から今日までに読んだ書と見た映画の紹介。
1、この数日の一冊 / 『希望格差社会』(山田昌弘著、筑摩書房) 
 : 山田氏は実に「良い仕事」をされたと思う。ただし、具体的な処方箋が弱い気がする。
2、この数日の一作 / 『ラブソング』(出演/マギー・チャン、レオン・ライ)
 : これぞ、「アジアの恋愛映画」というところか。いいものを見せてもらいました。
   マギー・チャンは、いい女優ですね。
   ところで、この映画を見ると、テレサ・テンの「存在」の大きさが判ります。

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