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December 26, 2004

今年の論稿・三

 雪斎にとって、軍事は最も身近な領域である。雪斎は、「武官の息子」として育ったので、幼少の頃から戦記マンガの類は飽きるほど読んでいた。昭和四十年代後半に放映された戦記アニメーション番組『決断』の主題歌の一節は、今でも覚えている。雪斎が広い意味での政治学の中でも国際政治、安全保障を専攻としているのも、そうした軍事の身近さが大きく関わっている。
 下に書き留めた原稿は、「自衛隊は『義兵』の王道を進め」と題した原稿に若干の修正を施したものである。今年の小泉純一郎内閣の対外政策は、イラクへの自衛隊派遣と北朝鮮情勢への対応を焦点にした感があるけれども、この原稿の中で援用した『漢書』の一節は、自衛隊の役割として何が期待されているかを考える上では誠に示唆深いものである。おそらくは、自衛隊が「義兵」や「応兵」の枠組である限りは、その活動が道を踏み外したものになることはない。軍隊の意味を考える際に大事なのは、それが、どのような性格を持つものであるかということである。にもかかかわらず、戦後の日本では、「義兵」も「応兵」も「忿兵」も「貧兵」も「驕兵」も、総てがひとまとめにして否定された。そこでは、どのような基準の下でならば軍隊が使えるのかという冷静な議論は、閑却されたのである。
 そのことは、軍隊がさほどの思慮も伴わずに使われる危険を醸成してもいる。ジョージ・W・ブッシュ第一期政権下で国務長官を務めたコリン・L・パウエルは、湾岸戦争を指揮した「英雄」であった。パウエルは、イラク戦争時には、終始一貫して国際協調を模索した。一昨日の産経新聞サイト上の記事によれば、パウエルは、『フォーリン・ポリシー』誌上に論文を発表し、「軍事手段の限界」を説いたようである。振り返れば、マシュー・B・リッジウェイもまた、一九五四年の第一次インドシナ戦争に際しては、戦争介入が検討された米国政府部内で介入反対の姿勢を取った。パウエルもリッジウェイも、武官として軍事作戦展開に伴う「困難」を知ればこそ、性急な軍事作戦の発動には異論を唱え続けたのである。
 雪斎は、民主主義体制下における「武官」とは、パウエルやリッジウェイのような存在を「範型」とすると考えている。戦争を起こすのは、往々にして戦争の「現実」を知ることのない政治家、文官、メディア、そして国民自身である。そのような逆説は、何時になったら理解されるようになるのであろうか。

 ■ 義兵、応兵、忿兵、貧兵、驕兵
          
 史書『漢書』「魏相丙吉傳」(巻七十四、第四十四)に収められているのは、古代中国・前漢の「中興の祖」と称えられる第七代宣帝に仕えた魏相と丙吉という二人の丞相の事績であるけれども、書中には次のような記述がある。
 「相、上書して曰く。『臣、之を聞く。乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂う。兵が義なる者は王たり。敵が己を加し已むを得ずして起つ者、之を応兵と謂う。兵が応ずる者は勝つ。小故を恨んで争い、憤怒して忍ばざる者、之を忿兵と謂う。兵が忿る者は敗れる。人の土地、貨宝を利する者、之を貪兵と謂う。兵が貪る者は破れる。国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵が驕する者は滅ぶ。此五者、但人事のみに非ず、乃ち天道なり』」。
 この『漢書』「魏相丙吉傳」の記述を前にして筆者が確認するのは、第二次世界大戦後、我が国の軍隊たる自衛隊が進めた歩みの正しさといったものである。振り返れば、明治期以降の我が国の足跡の意味は、植民地獲得という「貧兵」の論理が支配した国際社会の中で、どのように自らの立場を守るかに他ならなかった。日清、日露の二つの戦役での勝利は、我が国に対しては、「貪兵」の論理に基づく「一等国」の地位を与えはしたけれども、その地位は、「驕兵」の彩りをも添えるものとなった。そして、一九三七年七月、日中戦争勃発直後、我が国政府は「事態不拡大の方針」を決定していたにもかかわらず、近衛文麿は、「暴支膺懲」の気分に浸った世論や軍部に迎合した発言を繰り返し、翌年一月には「爾後、国民政府を対手とせず」を趣旨とする声明を出した結果、事態収拾の芽を摘んだ。近衛の失敗は、紛れもなく「忿兵」の帰結であった。
 第二次世界大戦後、「忿兵」、「貧兵」、「驕兵」の論理から離れた我が国が築いた自衛隊の性格は、紛れもなく「応兵」の枠組としてのものであった。そして、「冷戦の終結」以降、我が国は自衛隊に「義兵」の枠組としての性格を付与した。カンボジアから現下のイラクに至るまで展開された国際平和協力や復興支援に絡む活動は、「乱を救う」ためのものであったと説明できるであろうし、「九・一一」事件以降には世界共通の課題になったテロリズム対処は、「暴を誅する」意味合いを持つものであったといえる。因みに、国際連合憲章の上では、加盟国に許容されている武力行使の基準は、自衛権の行使の場合と軍事制裁発動の場合であるけれども、これは、「応兵」と「義兵」を指すものである。そして、『漢書』「魏相丙吉傳」においては、この「応兵」と「義兵」だけが「勝」と「王」に連なるものとして奨められていたのである。近代西欧の歴史によって醸成された「万国公法」の一つの成型たる国連憲章の規定と二千年余り前の史書の記述には、誠に瞠目すべき共通項がある。このことは、「万古不易」の言葉を想起させる。
 翻って、我が国の周辺情勢は、依然として「忿兵」、「貧兵」、「驕兵」の論理を奉ずる国々が残っていることを示している。「強盛大国」を標榜する北朝鮮は、その国情の内実はともかくとして、「驕兵」としての姿勢を露わにしている。また、中国は、東シナ海海洋権益の扱いに絡んで「貪兵」の論理を鮮明に示すようになっているし、我が国領海内に自らの原子力潜水艦が侵入した際の「驕兵」の姿勢は、明らかに裏付けを持たない北朝鮮のものに比べれば、遼かに露骨なものであろう。しかし、『漢書』「魏相丙吉傳」の記述に従えば、北朝鮮の「驕兵」の姿勢は早晩、自らの「滅」を招くであろうし、中国の「貪兵」と「驕兵」の論理もまた、それが自らの「破」や「滅」に結び付くという意味においては、先々の破綻を免れないであろう。特に「政冷経熱」を指摘される現下の日中関係を前にして筆者が訝るのは、胡錦濤(中国国家主席)や温家宝(中国首相)を初めとする中国共産党政府指導層が、どのように「兵貪者破、兵驕者滅」の文言を遺した自らの先人の警告を受け留めているのかということである。
 このような情勢の中で我が国が自戒すべきは、我が国が再び「忿兵」の気分に浸かって対外政策を展開しないということに尽きるであろう。北朝鮮や中国の姿勢は、我が国の幾多の人々の感情を逆撫でにしているけれども、我が国の実際の政策展開が、そのような感情に裏付けられるようなことがあってはならない。民主主義体制の下では、世論と称されるものに埋め込まれた人々の感情が、実際の政策展開を左右することが少なくないのであれば、そのような「忿兵」の陥穽に足を取られることの危険は、強調される必要があろう。

          『世界日報』 (二〇〇四年十二月十一日付)掲載原稿に補筆                     

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Comments

>『決断』の主題歌の一節

♪勝って驕るな、負けて泣くな
♪男、涙は見せぬもの~

見てなかったけど、不思議と歌は覚えているものなのだ。

下記ご参照。懐かしいですぞ。

「君はアニメンタリー、決断を知っているか?」
ttp://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/index.html

Posted by: かんべえ | December 27, 2004 at 02:06 PM

>かんべえ 殿
涙、涙もののサイトのご教示、有り難うございます。
そうですか。『決断』の主題歌は、古関裕而作曲でしたか。道理で…。
しかし、『決断』のビデオというのもあったのですな。これは探さねば…。

Posted by: 雪斎 | December 27, 2004 at 03:13 PM

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